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明孝陵
2008年06月01日(日)更新
【和:めいこうりょう】 |
【中:Ming xiao lin】 |
面白テーマ|明・清>明孝陵
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南京市東郊紫金山南麓の獨龍阜玩珠峰、茅山西側にある明の開国皇帝・朱元璋と皇后馬氏の共同墓地である。
築造は明の洪武十四年(1381年)に始まり、永楽三年(1405年)に完成するまでは合わせて25年の歳月が費やされた。築造に当てられた軍人は10数万人を数え、費やされた労力や物資は膨大な数だつた。朝陽門(今の中山門)から孝陵衛、および陵墓の西と北までに築かれた塀は、長さ22.5kmに及び、護衛に当てられた軍人は5000人以上に上った。墓苑内は亭閣が軒を並べ、松の木が生い茂り、鹿の鳴き声は聞こえる。度重なった兵火のため破壊は厳しく、現在は神烈山碑、下馬牌坊、大金門、四方城と神道両側の石獣獅、獬、駱駝象、麒麟、馬など6種24匹,神道石柱2、文臣武将各4点しか残つていない。
「四方城」は碑を立てた亭のことである。頂上部は既に壊され、四角形の四壁しか残っていない。「龜趺座」の上に立てられた碑は、高さ8.78m。碑文は永楽帝・朱棣が自らの手で書いたもので、合わせて2746字あり、明の太祖の功徳を詳しく称賛している。合座にも碑の縁にも美しい彫刻が施されている。
神道(参道)の長さは約1800m。そのうちの中段は石象路と呼ばれ、その両側には12組の石獣(それぞれ獅子、駱駝、象と馬の6種)が相向かうように立ち並んでいる。その後側に立つた高い華表は、雲龍の紋様が彫られた立派な立石である。北に伸びる神道の両側に、それぞれ4組の甲冑または蟒袍(竜紋の長衣)をまとった文臣武将の彫像がある。残念ながら、これらの彫像はすでに壊れている。石人も石獣も堂々とした体躯のもので、いずれも明代石刻芸術の高級品である。出所:中国世界遺産「明・清時代の皇室陵墓」
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