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金製盞 2008年07月24日(木)更新
(附属七1)
金製蓋通高1lcm、 外径15.7cm、 重2156g
金製漏匕 長13cm、重56g
随州の義地岡で出土した春秋時代後期のほぼ同じ器形の器には「盞」という銘があり、曽侯乙墓出土のこの金製盞も、当時「盞」と呼ばれていたと推測される。この種の器は中原地方でも出土が知られているが、楚の領域で発見されるものが最も類似している。
盞の中央には円形の把手が付く。その下には蛇が8匹絡み合う蟠蛇紋があるが、把手を接着したためか、把手の内側は紋様が途中で消えて無紋となっている。蟠蛇紋の外側には絡縄紋、その外側には雷紋が2周する。蓋の縁には、蓋を器に固定するための3個の留め金具が付いている。器身の胴部には二つの環耳が付き、獣形の三足が付く。口縁部の下には2頭の龍の絡み合う紋様が一周する。器全体が鋳造で作られているが、それを如実に示すのが、蓋に明瞭に見られる6個のスペイサーであり、その一つは既に脱落して孔になっている。
金製盞に付属する匕には透し紋様が入っている。透し紋様のあるとは、春秋時代の河南省輝県琉璃閣80号墓、戦国時代の山彪鎮1号墓、洛陽中州路、湖北省江陵馬山などにも例があるが、恐らくスープの中の実をすくうような時に使用されたのであろう。それによってこの盞の用途もある程度想像できる。
蓋に表された蟠蛇紋とそれを囲む絡縄紋、雷紋の組み合わせは、大尊缶の蓋および三環鈕蓋鼎の蓋の中央部に表されているものと、極めて類似している。また、器体に表された龍の紋様は、連禁大壺に用いられている紋様と、ほぼ同種の紋様である。この金製盞は、今のところ中国で知られている最も古い金製の容器であるが、その製作法を見ると、青銅器の鋳造と同様にスペイサーを用いており、また紋様も青銅器のそれを転用しているといってよい。
中国では金製品は商(殷)代から既に知られている。しかしそれらは主に小型の装飾品に限られており、春秋戦国時代になって象嵌の材料、貨幣などにも使用されるようになる。しかし金製の容器が出現するのは一般的にいって六朝時代であり、その点でも、この金製盞と金製蓋は極めて珍しい。またこの金製盞は先秦時代では最も大きく最も重量のある金製品でもある。出所:『曾侯乙墓』
特別展 日中国交正常化20周年記念
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