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董卓之乱 2008年09月04日(木)更新
【和:とうたくのらん】 |
【中:Dong zhuo zhi luan】 |
秦・漢・三国|>董卓之乱 |
中平六年(一八九)、宦官のいいなりであった暗愚な霊帝が死去、幼い少帝が即位し、少帝の母何后の兄である何進が権力を掌握すると、またぞろ後漢王朝の宿痾である外戚と宦官の権力闘争がむしかえされた。何進は、当時隷校尉(警視総監)だった袁紹(?~二〇ニ)と手を結び、宦官派を一掃しようとはかった。しかし、宦官派と結び付きの強い何后に制止され、焦った何進は表紹らの反対を押し切って、山西省一帯に勢力を張る軍閥の獰猛なリーダー董卓(?~一九二)を呼び寄せ、宦官派と何后を威嚇しようとした。これが結局、災いのもとになった。
まず危険を察知した宦官派が、董卓の軍勢が洛陽に入る前に、先手をうって何進を宮中に誘い込み殺害したところ、この混乱に乗じて、袁紹ら反宦官派が兵を指揮して宮中に乱入、逆に宦官を皆殺しにした。この収拾不能の大混乱のさなか、董卓は精鋭部隊を率いて洛陽に乗り込み、袁紹らを押しのけて主導権を握り、たちまち洛陽を制圧してしまった。かくして董卓は養子の猛将呂布(?~一九八)を使って、朝廷の高官を威嚇し、少帝を退位させて異母弟の献帝を即位させるなど、持ち前の凶暴性を発揮して、恐怖政治を断行したのである。
このままでは.とても董卓に対抗できないと、袁紹は洛陽を脱出して冀州(河批省〕に向かった。もともと袁紹は四代続いて三公(最高位の大臣)を出した名門の出身だったから、その名望を慕者も多く、みるみるうちに冀州の根拠地を固めた。一方、典軍校尉として洛陽にいた曹操もまた、董卓の乱が勃発すると間道づたいに脱出した。このとき、曹操姦雄伝説を裏付けるかっこうの事件がおこる。曹操は逃避行の途中、旧友呂伯奢の家に立ち寄り、 一夜の宿を借りた。たまたま呂伯奢は不在で息子たちだけしかいなかった。息子たちは曹操をもてなすべく、食事の支度をしてくれたが、神経過敏になっていた曹操は、食器のふれあう音を聞くと、てっきり自分を殺そうとしているのだと思い込み、刃をふるって彼らを皆殺しにしてしまった。やがてまちがいに気づき暗澹たる思いにとらわれながあも、こう言いきるのであった。「寧ろ我れ人に負くも、人をして我れに負くこと毋からしめん(わしが他人を裏切ることがあろうとも、他人にわしを裏切るような真似はさせないぞ)」。もっとも、このエビソードは、曹操に批判的な東晋の孫盛の『雑記」によるものである。
ともあれなんとか洛陽からの脱出に成功した曹操は、陳留(河南省開封市の南)までたどりついて軍勢を集め、董卓討伐のための挙兵に備えた。
翌初平元年(一九〇)、曹操が檄を飛ばし、 これに応じて袁紹を盟主とする董卓討代連合軍が結成され、酸棗(河市省開封市の北)に集結した。しかし、連合軍内部で意見がまとまらず、董卓に本格的な攻撃を加えるには至らないまま、やがて解散してしまう。それでも、四面楚歌の恐怖に駆られた董卓は、洛陽から長安へ無謀な遷都を強行し、事態はますます悪化する一方だった。結局、地獄の悪鬼のような董卓の息の根をとめたのは、討伐軍ではなく、その養子の呂布だった。初平三年(一九二)、後漢朝廷の高官王允と結託した呂布は、その比類ない剛勇に物をいわせ、童卓を殺害したのである。
あまりいいところのなかった連合軍の董卓討伐戦において、ひときわめだったのは、董卓軍の猛将華雄を討ち取り、董卓が放棄した旧都洛陽にも一番乗りした、孫堅の奮戦ぶりだった。このとき劉備はどうしていたか。実は、陳寿の正史『三国志』をみるかぎり、劉備主従が董卓討伐戦に参加したかどうかすら明らかではない。そもそも、このころ劉備が行を共にしていた公孫瓚自身、袁紹と敵対関係にあったためもあって、連合軍に参加した形跡がないのだ。にもかかわらず、羅貫中の『三国志演義』では、劉備・関羽・張飛がさっそうと董草討伐戦に登場し、猛将呂布とわたりあったとする。さらにまた、虎牢関(河南省榮陽県)に陣を敷いた連合軍のリーダーたちが、当たるを幸いなぎ倒す董卓の猛将華雄の武勇に手こずり、思案投げ首しているところに、関羽が名乗りをあげて出撃、 つがれた酒が冷めないうちに、たちまち華雄の首を切り取って凱旋してきたというように、物語を展開させている。先に述べたとおり、史実では、華雄を討ち取ったのは孫堅である。これは、劉備・関羽・張飛の活躍よりを描くことを中心とする『演義』のフィクションにほかならない。めだった出来事、プラスのイメージをもつ事件は、すべて劉備主従の側に置き換えようとする『演義』の手法を顕著に示す例だといえよう。
それはさておき、呂布によって董卓が殺されたあと、時代は全面的な乱世に突入する。皇帝などあってなきがごとし、もはや完全な無政府状態である。誰が主導権をにぎるか、群雄たちの凄まじいサバイバルレースが始まった。出所:「三国志を行く 諸葛孔明編」
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