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永泰公主墓 2009年2月1日更新
永泰公主(六八四~七〇一年)は、本名李仙蕙、中宗(在位七〇五~七一〇年)の第七皇女であるが、大足元年(七〇一)、兄の懿徳太子とともに、祖母の則天武后(在位六九〇~七〇五年)から死を賜わり、神龍二年(七〇六)、乾陵に陪葬された。墓は、全長約八八メートル、墓道、甬道(通路)、前後二つの墓室(塼築)からなることが、一九六〇~六二年の発掘調査で解明された。墓門と後室の石槨には、宮女ほかの人物などが線刻され、墓道、甬道、墓室の壁面や天丼には、楼閣、人物、霊獣などが描かれていた。とくに、流麗な筆致で表現された墓室の官女図は、唐代壁画の中でも白眉として有名である。副葬品は、各種の俑(騎馬狩猟男子)、陶磁器(鼓胴)、金銀をはじめとする金属器、さらに玉器など、一三○○点以上を数える。
現在、この墓の内部は一般に公開され(壁画は模写)、唐墓の構造を実見することができる。また、前庭には、乾陵博物館が設置され、章懐太子墓や懿徳太子墓の出土品とともに、永泰公主墓出土品も常時、展示されている。
出所:唐の女帝・則天武后とその時代展1998
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