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大明宮址 2009年2月1日更新
唐(六一八~九〇七)の長安城の北側城壁に接して設置されていた宮殿で、唐の第二代皇帝・太宗(在位六二六~六四九年)が父・高祖(在住六一八~六二六年)の隠居所として建てたのに始まる。高宗(在位六四九~六八三年)の龍朔二年(六六二)、これを改築して宮城とし、翌年四月、高宗の住居および政務の場として使用するようになった。以後、唐の歴代の皇帝は、ここに居住することが多く、国家的な儀式もしばしばこの宮城で行われた。大極宮、興慶宮と並んで、長安城にあった三宮城(三大内)の一つに数えられる。
一九五七年以来、この遺跡の発掘調査が行われ、徐々に、全貌が明らかになりつつある。それによれば、周囲約7.6キロメートル、西辺約2.3キロメートル、東辺約2.6キロメートルにおよぶ広大な地域をしめ、北半部が台形状をし、南半部が長方形の外形をもち、周囲の11箇所に城門が備わっていた。これまでのところ、北半部にあった池の周りを中心に、40箇所余りの建築遺構が検出され、紫宸殿(宮中の正殿)、含元殿(重大な政務や外国使節の接見の場)、麟徳殿(宴会や面会の場)、三清殿(道教を祀る場)といった主要な宮殿の様相も具体的に知られるようになった。また、この調査に伴い、石柱、瓦、塼などの建築部材をはじめ、金属器や陶磁器ほかの各種の工芸品(鼓胴・白磁壺)などが多数発見され、唐の宮廷生活をしのぶ貴重な資料となっている。出所:唐の女帝・則天武后とその時代展1998
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