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孟法師碑(唐拓孤本) 2009年3月9日更新
【和:もうほうしひ・とうたくほん】 |
【中:Meng fa shi bei】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画|>孟法師碑(唐拓孤本) |
褚遂良筆
一帖
紙本墨拓
縦25.1 横11.3
唐時代・貞観十六年(六四二)
孟法師とは、江夏(湖北省)安陸の人で、俗姓を孟、諱を静素という女性の道士.隋の文帝は法師の修行の深さを聞いて長安に招き、至徳観を建立した。道教は唐王朝においても盛んに行なわれ、法師は唐室の擁護のもとに教化に専念し、多くの人々の帰依するところとなった.貞観十二年(六三八)七月十二日、法師が九十七歳の長寿で遷化すると、唐太宗 によって香奠を下賜され、降礼を加えられるという特旨を受けている。本碑はその四年後の貞観十六年五月、弟子の陳光らが法師の徳を頌えたもので、中書侍郎の岑文本が撰文し、諫議大夫であった褚遂良(五九六―六五八)が書丹した。褚遂良四十七歳の筆になり、伊闕仏龕碑の翌年の作。本碑はもと西安の至徳観に建てられ、北宋の末には長安の国子監にあったというが、その後亡佚し、現在はこの拓本のみが孤本としては存している。
この拓本は、元から明にかけて諸家の収蔵を経て、明末に黄熊の入手するところとなり、次いで曹縄武の所蔵となった。清時代には王澍、王文治(一七三〇―一八〇二)、陸恭らの名家の鑑賞を経て、清の道光三年(一八二三)、収蔵家として名高い李宗瀚の有に帰した。李宗瀚は当時の大学者である翁方綱(一七三三―一八一八)と親交し、翁方網の勧めによって多くの旧拓名帖を購得した。とりわけこの拓本は古くから唐拓孤本として喧伝されてきたもので、隋の「啓法寺碑」、唐の「孔子廟堂碑」「善才寺碑」とともに、臨川四宝と称されている。 出所:書の至宝-日本と中国2006
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