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灌頂暦名 2009年3月13日更新
【和:かんじょうれきめい】 |
【中:Guan ding li ming】 |
彫刻・書画|>灌頂暦名 |
空海筆
一巻
紙本墨書
縦二八・四 全長二六六・〇
平安時代・弘仁三年・四年(八一二・八一三)
京都・神護寺
空海(七七四-八三五)が、高雄山寺(神護寺)で灌頂を授けたときの受法者の名簿で、都合三回分を一巻として調巻されたもの。早くに寺外に流出し、仁和寺北院の経蔵にあったが(『放か述記』)、天仁元年(一一〇八)白河上皇の命により鳥羽勝光明院の宝蔵に施入され、のち徳治三年(一ニ○八)六月に後宇多上皇の命により神護寺に還付、以後図寺に伝来する重宝である。第一回の灌頂は、弘仁三年(八一二)十一月十五日の金剛界灌頂で受法音は四名。すなわち、最澄(七六七-八二二)・和気真網・和気仲世・美濃種人であり、投華の結果、それぞれが結縁した仏菩薩名を記す。第二回の弘仁三年(ハ一二)十二月十四日胎蔵界灌頂は、受法者百四十五名、第三回の弘仁四年(八一三)三月六日金剛界灌頂は受法者十七名で、三回の合計は百六十六人に上る。「灌頂暦名」は平安時代初期の仏教界とりわけ空海を取りまく人間関係の一断面を活写した縮図であり、それ自体が空海の存在感を孕んだ第一級の資料として貴重である。
その書は、たとえば第二回目の胎蔵界灌頂暦名でとくに想起されることであるが、薄暗い修法の場で蠟燭の灯りを頼りに投華の結果を急いで記していった感がある。とくに後半の大胆なまでの行の揺らぎや余白の粗密は灌頂の場の高揚を投影しているようにもみえる。少なくとも、灌頂という事実を具体的に反映した遺品であり、筆墨の力によって、唐から帰国後の空海の宗教活動の一端を如実に伝えるものとして貴重である。
出所:書の至宝-日本と中国2006
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