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オランジュリー美術館(フランス) 2009年7月13日更新
【和:オランジュリーびじゅつかん】 |
【英:Musee de I'Orangerie】 |
研究機関|>オランジュリー美術館(フランス) |
パリのオランジュリー美術館は、整然としたコンコルド広場を前にし、美しいチュイルリー公園を背に建っている。以前は短期間の企画展示館だったが、 一九八四年からはヴァルテールとポール・ギヨーム・コレクションの常設展示館となった。 一階はモネの「睡蓮」の大作の部屋である。
ポール・ギヨームは一八九一年パリに生まれ、ニ十三歳で画商となった。ゴンチャロヴアの展覧会を手始めにドラン展、マテスとピカソの合同展、ヴァン・ドンゲン、モジリアニと、各派の画家たちの展覧会を数多く精力的に開いた。特にスーチンに至っては彼が発見し売り出した画家である。そして、 一九二〇年代、すでにルノワール、セザンヌ、ルソーを扱っていたのである。海外へもフランスの作家を売り出し、アメリカのバーンズ・コレクションの助言者でもあった。しかし一九三四年、四十三歳の若さで亡くなった。彼の死後、未亡人は一九四一年建築家で実業家のジャン・ヴァルテールと再婚したが、前夫の収集したコレクションに数点買い足し、合わせてヴァルテールとギヨームの名を冠したコレクションとしてフランス政府に寄贈した。亡き夫の遺志を尊重した妻、また、それを温かく応援したヴァルテール、二人の愛情が生んだコレクションである。
入場券を求め、二階への階段をあがる。この階段のまわりにスーチンが二十数点掛けられている。「村」(一九二九―三〇頃)、「菓子作りの少年」(一九二二)が特にいい。
初めの部屋にはセザンヌが十四点、「果物、ナプキン、ミルク入れ」は壁紙のモチーフがとても面白い。次の部屋はたくさんのルノヮールである。「風景の中の裸婦」(一八八三)、「ピアノの前のイヴォンヌとクリスチーヌ・ルロル」(一八九七頃)、「髪長き水浴の乙女」などの名作が目白押しに飾られている。続く部屋もルノワールで、「横たわる裸婦(ガブリエル)」(一九〇三ー〇七)の大作や「あそぶクロード・ルノワール」(一九〇五)、「道化姿のクロード・ルノワール」(一九〇九)が印象的である。二十数点を超える作品であった。次の部屋はピカソである。「抱擁」(一九〇三)、「青年たち」(一九〇六)、「櫛を持つ女」(一九〇六)など十一点が並ぶ。
ドランの部屋、マチスの部屋、ルソーの部屋と続くが、ドランは美しい「大きな帽子のポール・ギヨーム夫人」を描いている。このコレクションにはドランが二十数点ある。マテスも十点近くあり、「赤いキュロットのオダリスク」がすてきである。ルソーの部屋には「婚礼」の大作がある。ここにはユトリロもいくつかあった。
最後の部屋は、ピカソの「赤い背景の裸婦」(一九〇六)、「白い帽子の女」「大きな浴女」、ルソー「ジュニエ爺さんのニ輪馬車」、モジリアニの「ポール・ギョーム、ノヴォ・ピロタ」など印象深い作品と出会える。
質の高いコレクションである。一階におりて、「睡蓮」の部屋へいく。広い二つの部屋があり、周囲が睡蓮の池の連作で囲まれている。紫とブルー、グリーン、薄いピンクと色のハーモニーが心地よい静けさをつくり出している。私の大好きな空間である。モネの最後の作品で、二十一世紀につながるものをもつ近代的な作品といえよう。モネの大きさと深さに心うたれるのである。
出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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