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オルセィ美術館(フランス) 2009年7月13日更新
【和:オルセィびじゅつかん】 |
【英:Musee d'Orsay】 |
研究機関|>オルセィ美術館(フランス) |
パリの国立オルセィ美術館は、 一九〇〇年からバリ・オルレアン社がオルセィ駅として使っていたに十世紀末の建物を、フランス政府が六年の歳月を費やして改築し、一九八六年の十二月二日に開館した。
文字や映画の舞台として不朽の名場面を成したが、 一九六一年に駅としての役目を終え、 一九七一年には一度取り壊すことに決定したが、各方面からの強い要請もあり、この歴史的な建物はそのまま保存されることになった。さらに一九七七年に、時のジスカール・デスタン大統領から美術館への転用のための改築案が出され、改築工事は一九八〇年から始まった。
このオルセイ美術館の展示および所蔵作品は、チュイルリー公園にあった印象派美術館が所蔵していたものを中心に、油彩画ニ千三百点、パステル画ニ百五十点、アール・ヌーボーの家具や装飾品などオブジェ千百点、彫刻千五百点に写真その他を含む膨大なものである。
美術館の入口は、ベルシャス通りに面した建物の正面にある。ガランとした駅の構内は見事に改築され、彫刻がふんだんに置かれている。 一階、三階、そして最上階に分かれ、 一階は中央の彫刻のギャラリーを挟んで両側に展示室が並んでいる。建物は長さ三二〇メートル、幅七五メートルという広大なものである.
オルセィ美術館にはさすがに名品、名作が多い。一階の絵画の展示では、まずアングルの名品「泉」(一八ニ〇―五六)と端正な顔の「聖餅の聖母」、シャバンヌの大作「貧しい漁師」(一八八一)、ギュスターヴ・モローの「オルフェウス」(一八六五)、「イアソンとメディア」、ドガの大作「べレッリ家の肖像」。マネの名品「草上の昼食」(一八六三)は見る人を圧倒する(ロンドンのコートールド美術館に習作がある)。さらにマネの「オランピア」(一八六三)、「バルコニー」(一八六九)。ファンタン=ラトウールの重厚で見応えのある人物群像もいい。モネの「庭の婦人たち」の大作、クールベの大作二点、「画家のアトリエ」(一八五九)と「オルナンの埋葬」(一八四九―五〇)。コローが卜数点、ミレーも「落穂拾い」(一八五七)、「羊飼いの少女」など油彩画十数点。
二階は、カリエールト数点、ルドン、ベックリン、アンソール、戦争面の大作や二十世紀初頭のレアリスム絵画へと続く。ドンゲン、 マルケ、ブラック、ドラン、マチスのフォーブ時代の作品群とルソーの名品「蛇使いの女」(一九〇七)がある。ドニ、ボナール、ヴュイヤールのナビ派の大作が並ぶ。
最上階はゴーギャンが二十数点あるが、「アレアレア(よろこびと「白い馬」「美しきアンジェール」などがあり、晩年のタヒチ時代の作品が多い。さらにルソーの大作「戦争」(一八九四)、「女の肖像」、 ロートレックの「踊るジャンヌ・アブリル」。
点描派のスーラ、クロス、シニャックなど大小三十点のうち、圧巻はスーラの「サーカス」(一八九〇-九一)とクロスの「エクトール・フランス大人」の大作三点である。セザンヌは初期から後期までの三十数点が並んでいるが、「トランプをする男たち」「水浴」「コーヒー沸かしのある婦人像」(一八九〇―九五)、「リンゴとオレンジ一が印象に残る。ゴッホの「医師ガッシェの像」「オーヴェールの教会」(一八九〇)など、どれも晩年のいい作品ばかりである。
そして、印象派へと続いていく。ルノワールは「田舎のダンス」と「都会のグンス」のペアー作品、「ピアノを弾く少女たち」(注)、「浴女たち」の大作、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(一八七六)の大作に「ブランコ」。モネは太鼓橋を描いたニ点のほか「積み藁、夏の終り」「サン・ラザール駅」「ロンドン、霧の国会議事堂」などが印象に残った。ピサロ、シスレーなどもあるが、名品が少なく総体的にみて魅力に欠ける。こうしてみると印象派の場合は、ご本家のフランス国内より、アメリカや他の国の方がよほど逸品を所蔵している。
建物が大きいこと、そして膨大なコレクションには圧倒されるが、広大な駅を改装したこの好条件がかえって散漫な印象を与えているようである.かつての印象派美術館で受けたあの感激が懐かしくも思える。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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