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ドラクロア美術館(フランス) 2009年7月13日更新

ドラクロア美術館(フランス)

【和:ドラクロアびじゅつかん
【英:Musee Eugene Delacroix
研究機関|>ドラクロア美術館(フランス)

「キオスれのに役」「サルダナバールの死」「民衆を導く自由の女神」など、どの絵にも暗い色調の画面の中に荒々しい情熱が漲り、画面に近寄ってよく兄ると、男性的で野性的な、大胆な構図の中に細やかな神経が行き届いているのがよくわかる。また、「アルジェの女たち」にみられる美しい女たちは健康でたくましく、しかも野性と意志をもった女性に描かれている。
ドラクロアは、マルセイユやボルドー地方の知事や大臣を務めたシャルル・ドラクロアの四番目の子として、一七九八年、フランスのシャラントン・サン・モーリスに生まれた。十七歳でゲランに師事し、翌年、美術学校のゲラン教室に入り、ここでジェリコーとも親交を結ぶことになる。師ゲランは古典派であったが、ドラクロアもジェリコーも、古典派の形式美にとらわれた生気のない画面より、生と死に向かい合った激情のシーンを描くことに積極的な忘装を見いだしていた。それはドラクロアの伝統への挑戦でもあった。
しかし、歴史の上で伝統に立ち向かう者はいつもそうであったように、ドラクロアのこの一連の作品も初めは人々を驚かし、集中的な非難を浴びた。一八三二年のモロッコへの旅の時期に描かれた「民衆を導く自由の女神」や「アルジェの女たち」の、深い色でありながら燃え立つような色彩は、ドラクロアのいちばんの特色とするところとなり、晩年には、フランス国家もドラクロアを認め、市庁舎のホールの絵など数々の公の作品を依頼し、勲章も授けている。
画家を目指す若者たちのメッカ、エコール・デ・ボーザール(国立美術学校)のあるパリ六区にドラクロアのアトリエが残っている。ジャコブ通りを入ったフュルステンベルグ広場に行くと、奥まったところに五階建ての古いアパートがある。入門には『一八六三年八月十三日、その死までここにドラクロアが住む』と書かれたプレートが掛かっている。晩年の五年間を過ごした家である。一九五二年にドラクロア協会が買と戻し、 一九五四年に国に譲渡されたものである。
入口の暗いまっすぐな階段を上略へのぼると、ドラクロアの住んでいた部屋が右側にある。今は真ん中の大きい部屋と両隣りの部屋の二部屋が公開されているが、受付にはカタログも絵はがきもない.簡単な説明と年譜の入った説明書があるだけである。
まず、玄関には十二点のハムレットなど、舞台絵のエッチングがある。次の大きな部屋では動物のデッサンがまず目に入る。この他、友人への手紙、家族への手紙などがガラスケースに収められ、家族の写真がたくさん飾られている。この部屋には彼の油絵が一点だけ掛けられている。 次の部屋は、壁紙が濃い桃色で、暖炉があり長椅子が置かれ、壁にはデッサンが掛けられていた.反対側の部屋には昔風の箱形の絵具箱が置かれている。隅のドアから別棟のアトリエに通じる。
中庭付きの大きなアトリエは外側に彫刻が施され美しい建物である。緑色の庭園用の椅子がいくつか置かれていたが、制作に疲れたドラクロアがここで休息したのであろう。
アトリエの中に入ると、すぐ右側の小部屋には装飾に用いたと思われる絵の下絵がある。ここは、三十畳以上の広さをもち、高い天丼と北側の大きな窓から採光できるようになっている立派なアトリエである。家具やイーゼルがそのまま置かれ、黒い画面の裸身の男性像が制作途中のまま残っている.使いこなされたパレットを見ると、青色をよく用いた様子がわかる。強烈な色の対比を絵の中で見事に生かした作家のパレットは、さまざまな想像をかきたてて興味深いものがある。
彼の遺した作品は一方点に及ぶという。ルーヴル美術館でドラクロアの名品に接した後、この古い館で静かにドラクロアと同じ空気を吸い、同じ時間を過ごしてみると、いっそうその作品が身近に感じられる。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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