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パリのピカソ美術館(フランス) 2009年7月13日更新
【和:パリのピカソびじゅつかん】 |
【英:Musee Picasso,Paris】 |
研究機関|>パリのピカソ美術館(フランス) |
パリのピカソ美術館は、ピカソの遺族が相続税を物納という異例の形で納めることによってできた美術館である。ピカソが一九七三年、九十一歳でそのエネルギッシュな生涯を終えたとき、遺族には膨大な作品が遺された。フランス政府はこれらの作品を市場に異常な形で流出させないために物納の決定をした。ピカソの遺した作品群は初期のものから晩年に至るまで、ピカソ自身のコレクションとして手元に遺されていた。作品の選択は政府側の専門家たちと遺族が話し合って決めることになったが、遺された作品があまりに膨大な量であったため、その作業は六年という歳月を要した。こうして二〇三点の絵、一五八点の彫刻、二九点のレリーフ、八八点の陶器、三千点のデッサンと版画が選び出された。
一方で一九七四年ごろから、この作品群を収容する美術館の建設が考えられ始めた。その場所に、パリ市の所有となっていた十七世紀の「塩の館」と呼ばれる塩税の官吏の館だった建物が選ばれた。館の内部を改造するにあたってはコンクールでアイデアを募った。結局、ローランド・シムネの案に決定したが、歴史的な建物の景観を損なわず、内部を合理的に改造することは技術的に難しく、 一九八五年になってようやく完成した。まず建物そのものの修復に二億円以上、改造に十八億円ものお金がかかったという。それは国とパリ市で負担した。
古い歴史的な館をどのようにピカソの作品に合うように改造するかは、″ピカソVSルイ十四世″と当時パリっ子たちの関心を集めた。一九八五年九月二十三日に期待のピカソ美術館はオープンした。美術館の内部は白が多く使われ、すっきりとした部屋になり、採光もよく作品が見やすい。ピカゾのどの時代の作品にもマッチした会場となっている。唯一の装飾として、彫刻家ジャコメッティの弟、ディエゴ・ジャコメッティに注文して、主たる部屋のシャンデリアと椅子を作らせている。展示室は全館二十室で、時代別、あるいはテーマ別にまとめてある。
三階の一室はピカソ誕生(一八八一)から二十二歳の青の時代まで、二室がばら色の時代からアヴィニョン時代(一九〇四-〇七)、三室はアヴィニョンからキュビスムに移るころ、四室はキュビスム(一九一〇―一七)、五室はピカソの集めたフランス絵画、六室は新古典時代(一九一七ー二四)、七室はシュルレアリスム時代(一九ニ四ーニ九)、八室は版画、九室は水浴する人のテーマ、十一室は彫刻、十一室は闘牛などのテーマ、十二室は壁一面のコラージュ(はり絵)。地下は十二室が女神シリーズ、十四室は陶芸作品、十五室が有名なゲルニカの習作、十六室も戦争と自由のテーマ、共に戦争への抵抗である。十七室は出版した本、十八、十九室はヴァロリス時代(一九四七―六一)、ニ十室は一九六一年から亡くなるまでとなっている。
このように、年代順に作品を追って見ていくと、ピカソの画業の変化が自然に理解できる。さすがにピカソ白身がコレクションしていただけに世界的な名品揃いである。”ニ十世紀最大の画家″といわれるピカソを独り占めできる時間は、贅沢で豊かなものである。
出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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