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マルモッタン美術館(フランス) 2009年7月14日更新
【和:マルモッタンびじゅつかん】 |
【英:Musee Marmottan】 |
研究機関|>マルモッタン美術館(フランス) |
ブーローニュの森は恋人たちの森とも呼ばれる。春は若葉が萌え、秋は憂愁の枯葉が散り、四季それぞれに美しいたたずまいを見せている。森の近くには高級住宅街があり、その一角にマルモッタン美術館がある。主なコレクションはクロード・モネの作品群で占められている。静かな美しい風景をこよなく愛したモネにふさわしい場所である。
この建物は一八四〇年ごろに建てられ、最初はブーローニュの森の狩り小屋であった。のちに、ポール・マルモッタンが別宅として買い取り、 一八八〇年から九〇年にかけて現在のような建物に改築されたものである。
ポール・マルモッタンは一八五六年にパリの木炭商の家に生まれた。祖父の代からの美術愛好家の家系で、彼も歴史や美術の研究家であり、また相当の読書家でもあった。彼の研究の中心はナポレオン・ボナパルトであり、したがってコレクションもそこに焦点を絞った形のものになっている。
一九三二年、彼の死去により作品も屋敷もそっくリアカデミー・デ・ボーザール(美術に関する指導的団体・組織)に寄贈された。第二次世界大戦中を除き、一九三四年から美術館として公開されている。
一九五七年にモンシー夫人から名作十数点を寄贈された。彼女は有名なドクター・ジョルジュ・ド・ベリオの娘で、多数の画家たちの友人であった。ルノワールも結婚前の彼女を描いている。彼女が寄贈した作品の中には、モネの傑作「印象・日の出」(一八七三)、「雪の中の汽車」(一八
七五)、「アルジャントゥイユの風景」やピサロ、シスレーなどの名作が含まれていた。
モンシー夫人がモネの「印象・日の出」をこの美術館に寄贈したことは、後に大きな波紋を呼ぶことになった。というのは、モネの次男ミッシェル・モネはマルモッタン美術館にある「印象・日の出」を見て、父の作品をここに置く決心をしたのである。一九六六年、ミッシェルが八十ニ歳で死んだとき、彼の遺言状には、八十余点のモネの作品すべてをアカデミー・デ・ボーサールに寄贈することが明記されていた。
こうして、マルモッタン美術館は別名、「モネの美術館」と呼ばれるようになった。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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