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ロダン美術館(フランス) 2009年7月15日更新

ロダン美術館(フランス)

【和:ロダンびじゅつかん
【英:Musee Rodin
研究機関|>ロダン美術館(フランス)

パリの中心にあるアンバリッド(ナポレオンの墓)から数百メートルのヴァレンヌ街にロダン美術館がある。ロダンは一八四〇年十一月十二日にバリに生まれ、 一九一七年十一月十七日に没している。貧しい家庭に生まれたロダンは、早くから働かねばならなかった。デッサンに対して強い興味をもち、装飾美術学校に学んだが、ニ十歳になると職を得るために装飾彫刻家となった。そして、ニ十二歳のときに姉を失い、その悲しみから修道士となった。
このときの神父が、ロダンに生涯彫刻家としての人生を歩む決心を固めさせたのである。しかし、二十四歳のときの作品「鼻のつぶれた男」はサロンに落選し、その後も発表する作品は激しい非難を浴びた。ロダンは陽の当たる道を歩いてきたわけではなく、むしろその半生は不遇といってよい。六十歳ころからは認められ、世界的に巨匠ロダンの地位が確立された。
この美術館は、ジャック・ガブリエルの設計で、 一七二九年から二一年にかけて建てられた。建築主は大金持ちのかつら師アブラハム・ベランクド・モラスである。モラスの死後は、ルイ十四世がモンテスパン夫人との間にもうけたメーヌ公の夫人に譲渡された。次にピロン元帥の手に渡り、それ以後この館は「ビロン館」と呼ばれた。
一九〇五年以来、芸術家たちに館が提供され、コクトー、マチス、リルケなどが使い、 ロダンも出入りしていた。 一九一一年、巨匠ロダンのための美術館建設の運動が始まり、国がビロン館を買い上げ、ロダンが自分の作品とコレクションを国に寄贈することになった。第一次世界大戦後の一九一九年、ビロン館は国立ロダン美術館として一般公開された。
ロダン美術館の大きな門をくぐった前庭の右手に、「考える人」と「バルザック」があり、左側の庭に「地獄の門」と「カレーの市民」が置かれている。歳月を重ね、風雨にさらされたブロンズ像はすっかり青銅色に変わり、庭木の中にひっそりと息づいていた。建物はニ階建てで中央に入口がある。
建物の中に入り玄関ホールから左へ行くと、小さい胸像が多く、まず、「鼻のつぶれた男」が目につく。「花飾りの帽子の若い娘」のテラコッタはなんともいえない可憐さである。優しい清らかな愛らしさが見る人の心を打つ。 三室は楕円形のサロン風な部屋で、かつての装飾的な壁が金色もはげて木の彫刻された部分だけが残っている。ここに不評を受けた「青銅時代」が陳列されている。
四室の愛し合う男女が手の中に息づく「神の手」はすてきな作品である。六室はカミーユ・クローデルが発想源となっている作品が多い。彼女は一八八二年から九八年までロダンの弟子であり、協力者であり、モデルであった。「パンセ」「曙」「ラ・フランス」には彼女の美貌が刻み込まれている。
七、九、十室は「地獄の門」のための習作がある。「地獄の門」は、ダンテの「地獄篇」を主題とし、当時としては全く新しい試みで、自然で自由な動きで二百人もの人がつながっている。あの「考える人」はレリーフの中央に置かれ、想像を思い巡らせているダンテを表している。 十一室には「カレーの市民」の習作が置かれている。カレーの市民は百年戦争でイギリスからカレーの街を守るため犠牲となった六人の貴族である。この作品は日本の国立西洋美術館と、ひろしま美術館にもある。
十三、十四室では、ロダンの友人との交流がしのばれる。浮世絵をバックにしたゴッホの名作「タンギー爺さん」「刈り入れする人々」「アルル」、ルノワールの「裸婦」などの油彩画も飾られて、物議を醸したバルザックやヴィクトル・ユーゴーの肖像も置かれている。
十六室の男女を主題とした作品は、一層や腰に回した指の先まで愛情があふれていて、男と女が愛し合う形をこんなにも美しく創り出したロダンに、私はとてもひかれた。人間としての愛、親子の愛、男と女の愛、ロダンは制作の根底に深い愛情を置いて、 一つ一つの作品を創造していたのである。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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