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レジェ美術館(フランス) 2009年7月17日更新

レジェ美術館(フランス)

【和:レジェびじゅつかん
【英:Musee National Femand Leger
研究機関|>レジェ美術館(フランス)

南仏コート・ダジュールの海岸線をニースからカンヌに向かって走ると、右手にビオという小さな村がある。ここにレジェ美術館がある。一九五五年にレジェが亡くなってから二年後に着工し、一九六〇年五月十三日にピカソ、ブラック、シャガールを名誉館長として、時の文化大臣アンドレ・マルローによって開館されたものである。フランス人でありながら、国内よりもスイスやアメリカなど国外での評価の方が高く、フランス政府がレジェを認めたのは後になってからである。この美術館は未亡人のナディア夫人が一九六七年に、土地と建物および作品三四八点をフランス国家に寄贈し、一九六九年に正式に国立美術館となった。  レジェ美術館は広い芝生に囲まれ、建物の前面の巨大なモザイク壁画は緑に映えて美しい。とても立派な美術館で庭の芝生の中にもレジェのレリーフが置かれ、美術館のまわりには散歩道が作られている。美術館のあるところはやや高台になっていて、門から広い階段を少しのぼるので、広々として余裕のある空間になっている。  レジェは家畜飼育業者の息子として一八八一年にノルマンディー地方に生まれた。父親は彼が三歳のときに亡くなり、十六歳のとき建築家の徒弟となった。十九歳でパリに出て設計製図の仕事に従事した。二十二歳のころから絵画への関心が強くなり、装飾美術学校に入学し、アカデミー・ジュリアンやルーヴル美術館に通うようになる。二十六歳のころ、セザンヌの絵を見て強い感銘を受けた。最初の結婚のころ、マン・レイと共同で映画「バレエ・メカニック」を作ったりもしている。五十代にアメリカでの個展で高い評価を受け、七十一歳で画家のナディア夫人と再婚した。晩年はニューヨーク近代美術館の展覧会が成功し、スイスの教会やカラカスの大学のステンド・グラスを制作するなど国外での活動も精力的に進めていた。  美術館に入ると、玄関ホールから二階への階段が吹き抜けになっている。レジェの制作した正面の大きなステンド・グラスの窓から明るい光が射し込んでいる。ここから建物は左に延びている。一階はデッサンや版画、陶器が主に飾られている。一九四五年作の素晴らしいデッサンも陳列されていた。  ホールから二階へあがると、天井が高く片面が窓になって自然光が入るようになっている。まず、一九〇五年作の「叔父の像」から始まる。この作品と「母の庭」の二点は印象派の影響が強く感じられる。次は、セザンヌ的な構成の「パリの屋根」と続き、キュビスムの作品に移っていく。レジェの独特の色の配合が特徴的である。 赤や青、黄が組み込まれた。レジェの色の解放〃と後に呼ばれ始めるころの作品が並ぶ。「七月十四日」はフランス国旗の三色が主体となって、楽しい祭りのどよめきが画面から聞こえてくるようである。  一九一八年以降の作品には、より単純化された画面にレジェ特有の丸い輪郭、無表情な顔の人物が登場してくる。手も足もがっしりした働く人々である。この時代の中でも特に好きな作品は「花束を持つ女たち」で、三人の女がソファに座り、一人は裸婦で髪の毛が艶やかに流れ、両面の隅々まで線と色に無駄がない。「鍵のあるジョコンダ」は抽象性を帯びてきた当時の作品群の中でも特異な存在であるが、この作品は日常生活の中の鍵束を主題に描き始めたレジェが、正反対のものを一緒に画面に描きたいと考え、街のショーウインドーの中に「モナ・リザ」の絵はがきを見つけ、ヒントを得たというエピソードが残っている。  四ヘクタールという広い敷地の中で、南るい太陽を浴びたこの美術館は、民衆画家として人間的な土の匂いが好きだったレジェにふさわしい場所である。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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