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ペギー・グッゲンハイム美術館(イタリア) 2009年7月21日更新
【和:ペギー・グッゲンハイムびじゅつかん】 |
【英:Collezione Peggy Guggenheim】 |
研究機関|>ペギー・グッゲンハイム美術館(イタリア) |
ニューヨークのソロモン・グッゲンハイム美術館は建物がライトの設計によることもあって有名であるが、ベニスのペギー・グッゲンハイム美術館は案外知られていない。
ペギーはソロモンの姪にあたるが、そのコレクションはペギーが独自に集めたものである。彼女は一八九八年、ニューヨークに生まれ、一九三八年、四十歳のとき、ロンドンで画廊を開いた。マルセル・デュシャンの助言のもとに美術への関心を深め、抽象とシュルレアリスムの違いに興味をもった。第二次世界大戦前夜の一九三九年から四〇年にかけてはピカソ、ブラック、カンディンスキー、モンドリアンなどの名品を積極的に収集した。しかし、ヒトラーがノルウェーに侵攻(一九四じ年四月)し、ドイツ軍がバリに無血入場したとき、戦争の不安が広がるヨーロッパを離れニューヨークに帰った。一九四二年、ペギーはニューヨークに美術画廊を開いた。ここでキュビスム、抽象表現主義、シュルレアリスムの画家たちの展覧会を次々と開いていった。戦争が終わった一九四七年、ペギーは再びヨーロッパに渡った。翌年、彼女のコレクションは華やかにベニス・ビエンナーレを飾ったのである。これがきっかけとなって、ペギーは大運河に面した十八世紀の美しい宮殿を買い取り、美術館として公開し、自分自身も一九七九年にその生涯を閉じるまでここで過ごした。この美しい館に文化人や芸術家たちを招いて楽しいサロンとし、また若い画家たちを援助し、着実にコレクションを充実させていった。コレクターとしては羨ましいくらい恵まれた晩年であった。
ペギー・グッゲンハイム美術館の、黒い鉄に赤やブルーのガラス玉を配した芸術的な扉がやっと開かれるのは昼ごろである。すぐ彫刻のある庭に出る。縁の中の彫刻が美しい。ベニスには庭園や樹木が少ないので、それだけにこの館内は十八世紀の贅をしのばせる。建物は平屋で中央に人口があり、左右に部屋が延びている。まず右へ行くと、シュルレアリスムの部屋である。デルボーの「夜明け」は美しいし、エルンストの「対立教皇」は薄気味の悪い超現実的な世界で追ってくる。タンギーの「宝石箱の中の太陽」には計算された冷たい静けさを感じる。マグリットの「光の帝国」はロマンチックな夜のとばりに包まれたガスライトと奇妙に明るい青い空とのコントラストが面白く印象に残った。ジャコメッティの「広場」も洒落た作品である。
向かい側の部屋にはミロの名品が三点とピカソの「水浴」の大作、キリコなどがある。ミロの「座る女Ⅱ」は一九三九年の作品で戦争の不安を感じさせる絵である。
その隣りの部屋はペギーの寝室だったところで、中央にカルダー作の銀のヘッドボードのついたベッドが置かれており、水色の壁とマッチしてクールな空聞かつくられている。
右へ数段おりると、抽象画の多い部屋に入る。アレシンスキー、ポロック、スティル、デュビュッフェ、ベーコンとあるが、ベーコンの独特のピンクの猿がよかった。 玄関に戻って左へ行くと、キュビスムの作品群である。ピカソはやはりいい。奥の部屋にはモンドリアンがあり、その向かい側ではシャガールの初期ロシア時代の素晴らしい作品と出会える。隣りの部屋はカンディンスキー、クレー、ブラックと続く。
ペギーが交友した楽しい芸術家仲間は、それぞれに大きく成長した。今やこのコレクションは莫大な財産となっている。ペギーの卓越した審美眼に感心するばかりである。美しいベニスの宮殿で、芸術家たちと楽しい時間をもちながら、彼らの才能を正確に見極めていったペギーの生き方は素晴らしい。美しい作品に囲まれた人生もまた充実したものだっただろう。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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