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レンバッハ市立美術館(ドイツ) 2009年7月26日更新
【和:レンバッハしりつびじゅつかん】 |
【英:Stadtische Galerie im Lenbachhaus】 |
研究機関|>レンバッハ市立美術館(ドイツ) |
ミュンヘン空港からタクシーで高速道路を五分、さらに町中を五分走ると、めざすレンバッハ市立美術館に着く。縁が多く美しい町なのに建物のデサインのせいか全体に堅い印象を受ける。
美術館の門を入ると、庭は中世風の庭園で噴水と彫刻があり、建物は、イタリア十六世紀の貴族の館のようである。この館は古典的手法の作品を残した画家レンバッハが好んだイタリア・ルネッサンス風に、一八八九年に建てられたものである。その後、一九二五年に市が買い取り、初めは十九世紀のコレクションを展示していた。そのうちミュンヘンを中心とした現代画家の美術館の必要性が唱えられ、一九五七年にガブリエレ・ミュンターより五百点以上のカンディンスキーの作品とその友人達、いわゆる「青騎士」派の二百点以上のコレクションが寄贈されてできあがったものてある。
ワシリー・カンディンスキーはロシアに一八六六年に生まれ、当時芸術の都とされていたミュンヘンに一八九六年にやってきた。一九〇二年に、彼はガブリエレ・ミュンターと出会い、ミュンヘンを安住の地と決め、ヤウレンスキーと友人となってミュンヘン郊外のムルナウで一緒に仕事を始めた。一九一二年に「芸術家集団・青騎士」というパンフレットが、カンディンスキーとフランツ・マルクによって出版された。ここから新しい芸術グルトプが育っていったのである。しかし第一次世界大戦の勃発と共に、ロシア人であるカンディンスキーはドイツを追われ帰国を決意、恋人ガブリエレ・ミュンターとは一九一四年に別れることになる。カンディンスキーのそれまでの作品群は、ミュンターの家に残されたが、退廃芸術としてしか認めなかったナチスの眼を逃れ、ようやく一九五七年に彼女によってミュンヘン市へ他の友人遠の作品と共に寄贈されたのである。
カンディンスキーの三十代から四十代の最も充実した美しい作品群は、第二の故郷であるミュンヘンにこうして永久保存されているのである。 一階は企画展示室になっていて、一階へあがると、待望のカンディンスキーの展示室である。館の外見は古いが、コの字形の展示室の内装は床が木組みで、壁も天井も白く、小ざっぱりとしている。
一室は、一九〇二年の「ロシアの秋」から始まる。この部屋では、この絵と「馬上の二人」が特に好きである。ガブリエレ・ミュンターを描いた作品や、ミュンターが描いた作品も展示してある。
二室にもカンディンスキーの作品があり、「郊外」「グリスブローの窓からの眺め」「室内」が印象に残る。ヤウレンスキーの作品も散点掛けられている。次の部屋にはカンディンスキーの友人たち「青騎士」派のはっきりした色合いで強いタッチの作品がある。
次の部屋では、カンディンスキーの一九一一~一四年の作品群から抽象絵画への歩みを感じとることができる。どれも比較的大きい絵だが、「即興21」と「即興26」の下には、その下絵と思われる風景のガラス絵が置かれている。
一番奥の部屋は、ヤウレンスキーの「ダンサーの肖像」から始まる。怖いような表情の女性が簡略化された画面の中からこちらを見つめている。その部屋から今度は中庭に面した部屋を見ながら中央へ戻ることにする。すぐの部屋にはカンディンスキー一九一一年の「万聖節画Ⅱ」があり、抽象ではなく、簡素化された人々と風景であり、それなりに美しいと思った。
次の部屋には、フランツ・マルクの一九一〇年の作品やマッケの一九一一年、カンディンスキーの一九一〇年の作品が展示されている。フランツ・マルクの「虎」はキュビスム風な構成で、強い色彩の風格のある虎となっている。
この美術館は市の運営となっているので、美術館としての活動も活発で企画展も多く、若い両家のグルーブ展も行われるという。併せて、ドイツの現代作家の作品を堪能してはいかがだろうか.レンバッハ美術館の主たるコレクションのカンディンスキーも素晴らしく印象深かったが、それと共に市な美術館として効率よく運営されていることも見逃せない。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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