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ルーベンス・ハウス(ベルギー) 2009年7月30日更新
【和:ルーベンス・ハウス】 |
【英:Rubenshuis】 |
研究機関|>ルーベンス・ハウス(ベルギー) |
ピーテル・パウル・ルーペンスは一五七七年にアントワープの法律家ヤン・ルーベンスの息子として生まれた。学校を卒業してからイタリアとスペインで絵画を勉強し、一六八八年にアントワープに戻ってくるが、そのときすでに名声を博していた。その数年後に大金を投じて得た邸宅が、ルーベンス・ハウスとして現在一般に公開されている。この家とルーベンスの因縁は深く、娘のクララ・セレナを一六二四年に亡くし、二年後の一六二六年には最初の妻イザベラをこの家で失った。傷心をいやすべくスペインや英国を旅して、ようやくアントワーブに帰ったのは一六三〇年である。この年、十六歳の美しい乙女エレーヌ・フールマンと再婚し、一六四〇年五月、この家で六十二歳の生涯を閉じている。
この邸宅は、ルーベンスの死後九年めにカーベンディシュ伯爵の家となり、一九三七年に至ってようやく市の所有となった。そして復元され、修復されたりして、ルーベンスの死後約三百年経った一九四六年七月二十一日に美術館として開館した。館のコレクションはアントワープ市の所有の作品や他の美術館からの委託、また、寄贈作品からなっている。
美術館は町の中心街をちょっと入った場所にあり、外観からは単に古い建物の一つという感じしか受けない。中に入ると、まず広いアトリエに大作が数点飾られている。ここに「楽園のアダムとイヴ」が掛かっている。建物は中庭のパティオを包むようにコの字形になっていて、左手は煉瓦の壁の古いフランダース様式の三階建てである。右手にあるアトリエの外観はたくさんの彫刻で飾られ、イタリア・バロック様式の組み合わせであるといわれているが、彼の邸宅が、その二つの様式をそのままに見せている。
左手の館に入る。古い家具類のあるサロンにはヨルダーンスの「寺での儀式」が掛かっている。ルーベンスもヨルダーンスも教えを受けたアントワープの画家、アダム・ファン・ノールトの「東方三博士の礼拝」も印象に残った。
食堂にはラピス・ラズリ(青金石)の上に彫刻のレリフフがある。これはルーベンスと同時代のブリュッセルの彫刻家フランソワ・デュケノワの作品である。右側の壁にはルーベンスの自画像がある。五十歳ごろの作品だろうか。理知的な風貌の中で眼が際立って意志的である。
つきあたりの部屋はギャラリーになっている。ルーペンスが収集した絵を飾っていた部屋で、ヴィーレム・ヴァン・ハクトの「コルネリス・ヴァン・デル・ゲーストのサロン」という絵は、当時のこの部屋の中を描いた作品で、抜群に面白い。この絵は一九六九年、アントワーブ市によって買い戻され、このルーベンス・ハウスに置かれるようになった。二階はルーベンスの寝室とほかに二部屋ある。三階はルーベンスの小さなアトリエと、弟子たちのためのアトリエがあった。このルーベンス・ハウスは単にルーベンスが住んでいたという歴史的価値だけではなく、当時のこの地方の人々の生活のありさまをしのばせて興味深いものであった。
ルーベンスの絵はアントワープ王立美術館にも十数点あるが、ブリュッセルのモ立美術館にかなりたくさんある。ブリュッセルとアントワープは車で四十分くらいの距離である。ルーベンスの作品とその終の住家である家とを併せて鑑賞することで、ルーベンス探訪の旅は楽しさが倍増する。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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