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プラド美術館(スペイン) 2009年7月31日更新
【和:プラドびじゅつかん】 |
【英:Museo del Prado】 |
研究機関|>プラド美術館(スペイン) |
マドリッドのプラド美術館は、世界中の美術愛好家が一度は訪れたいと思う美術館である。そのコレクションは世界的に有名であり、特にベラスケス、ゴヤ、エル・グレコなどプラドならではのコレクションや、ボッス、ルーベンス、レンブラントの名品がたくさんある。ブラド美術館は、中世以来のスペイン王家の代々のコレクションをもとに、一八一四年にフェルナンド七世によって国立絵画美術館として開館された。十七世紀中葉のフェリーペ四世時代にはベラスケスがコレクション充実の手助けをし、ルーベンスのような外国の画家も協力した。
こうして豊富なコレクションが成立していった。一九三六年、内戦勃発と共に作品は疎開させられ、第二次世界大戦後再び開館し、建物も拡張されて、一九七一年には各地に散らばっていたコレクションも統合された。
プラド美術館の名物の一つ、ボッス(スベイン名エル・ボスコ)の祭壇画「快楽の園」(一五〇〇-一〇)はたくさんある中で特筆すべき名品であろう。この絵の解釈をめぐって古くからさまざまに収り沙汰されているが、快楽と地獄、セックス、結婚、動物、僧侶、とテーマが複雑で、登場人物も多彩であり、何時間見ていても飽きることのない作品である。また、ピーテル・ブリューゲルー世の「死の勝利」(一五六五)は魔界の亡者と迷える生者との戦いの図である。見逃すことのできない名作を拾ってゆくと、ハンス・バルドゥング・グリーンの「人生の年輪」、
デューラーの[アダム」と「イヴ」(共に一五〇七)、「自画像」、ハンス・ホルバインの「老夫」、ルーペンスの超大作「聖ジョルジュとドラゴン」、レンブラントの「自画像」と「アルテミシア」(一六三四)がある。
またプラド美術館でなければ見られない、貴重なゴヤの『黒い絵』の作品が十四点ある。若き宮廷画家として成功しながらも、四十六歳で聾者となり、啓蒙思想の影響を受けて風刺版画集を出し、「裸のマハ」のような肉体描写の傑作も残しながら、ナポレオン軍の侵攻後は、「一八〇八年五月三日」(一八一四)や「巨人」などの作品も発表した。ゴヤが七十四歳から七十七歳にかけて自宅の壁に描いた作品が、この世に名高い『黒い絵』である。これは老齢のゴヤが大病のあと自分自身のために黙々と描いたもので、大勢の子供を早く亡くしたことから、病気、孤独、死の恐怖などを運命論的にとらえている。「魔女の夜宴」「わが子を喰うサトゥルヌス」「聖イシードロの祭」「食事をとる二人の老人」など、妖気漂う暗い絵のシリーズである。
ヨルダーンスが五点、そして、「運命」ほか、ルーベンスの作品がたくさんある。ことに「三美神」(一六三九)はこの美術館の数ある彼の作品の中で一番の傑作ではないだろうか。
ベラスケスの作品は、「十字架のキリスト」の大作や、「サン・セバスチャン」も有名だが、「ラス・メニーナス」(一六五六)はベラスケスの最も重要な作品である。フェリーペ四世の王女マルガリータとその侍女たちを描いたものだが、空間と人物配置の妙、光線の巧みな採り入れ方など、いくつかの観点から絵画の真髄と評されている。
さらにゴヤの名品「裸のマハ」と「着衣のマハ」がある。この二枚の絵はブラド美術館のハイライトの一つである。また、「カルロス四世の家族」(一八○○)は宮廷画家だったゴヤらしい豪華絢爛たる作品である。ティツィアーノが二三点、ムリーリョが「羊飼いの二人の少年」など大小二二点、プーサン、カラバッジョが並ぶ。さらにラファエロが十点、ボッテイチェルリ、マンテーニャ、フラ・アンジェリコの「受胎告知」、ヴァン・ダイク、ウェイデンの「嘆きの聖母像」(一四四〇-五〇)と名作が並んでいる。
以前別館に、ニューヨークから里帰りしたピカソの「ゲルニカ」(一九七三)が飾られていたが、現在は、ソフィア王妃美術センター(ー九八六年開館)に移されている。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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