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ムンク美術館(ノルウェー) 2009年8月2日更新

ムンク美術館(ノルウェー)

【和:ムンクびじゅつかん
【英:Munch‐museet
研究機関|>ムンク美術館(ノルウェー)

 ノルウェーのオスロは美しい海岸線を描くフィヨルドの奥にある。オスロは人口五十万の都市で、首都といっても素朴で静かな町である。街外れにあるムンク美術館には中心街からタクシーで十分足らずで着く。
 エドワルド・ムンクはノルウェーのヘドマーク県リョーテン村で一八六三年に生まれた。ムンク家は高級官吏の家系で、父は軍医だった。ムンクは二男三女の第二子、長男として生まれたが、母ラウラは末の妹を産んですぐに亡くなっている。姉ソフィエもムンクが十四歳のときにやはり結核で亡くなり、ムンクの少年時代は愛する肉親の暗い死が相次ぎ、後年、彼の絵にも大きな影を落とすことになる。ニ十ニ歳のとき、奨学金を得てパリヘ三週間の旅に出た。二度めにパリヘ行くのは二十六歳のときだが、その一ヶ月後父の死を知り、傷心を癒しきれず三年ほどフランス各地をさまよう。その後、肉親との死別の衝撃で精神病院に約八ヵ月間入院する。その後健康を取り戻したムンクは、ノルウェーで制作に没頭する日々を送り ー九四四年に八十一歳で亡くなった。
 遺言により残された油彩画約千百点、版画約一万八千点、水彩画・素描四千五百点、彫刻六点がオスロ市に贈られた。この美術館は一九六三年にこの遺贈作品をもとに開設されたものである。
 ムンク美術館は平屋建てで簡素な建物である。柵がなく芝生に囲まれているところは、ノルウェー王室の宮殿と同じで長閑な感じがする。入ってすぐの大きなホールは自然光がふんだんに入る設計で、白木と白っぽい石の壁にグレーの床が、美術館にありかちな冷たさを消している。
 一室に入ると、床に二十人くらい小、中学生が座って教師の講義を聞いている。どうやら美術の時間に学校から出掛けて来ているらしい。この部屋はムンクの二十歳のときの作品から始まる。一八八ー年の自画像はきちんとした伝統的な手法で描かれていて、反対顔の壁面の「女性のマスクの前の自画像」(一八九二一九三)と比べるとかなり違う。この部屋は広く、そのまま左へつながっているが、一八九三年から一九〇六年ごろまでの作品がムンクの苦しんだ時代だけに迫力があって素晴らしい。中でも、「別れ」「不安」(一八九四)、「眼から眼へ」「マドンナ」は特に好きな作品である。続く大きな部屋は大きな作品が年代を追って並んでいる。「マラの死」「死の部屋」「夜の自画像」と私の好きな作品が続く。「桟橋の少女たち」と同じテーマの一九二七年の作品のうしろに見えるのは、ムンクのオースゴールストランの家である。オスロのフィヨルドの美しい景色の海岸で、そこにあった彼の家は現在町が管理している。
 奥の部屋には薄暗いスポットライトを浴びた版画群がある。いろいろな刷り方を試みた「病める子」のシリーズもここにある。亡くなった姉の思い出のなんともいえない哀感を漂わせている。次へ進むとわが国にもなじみの深い有名な「叫び」「病室での死」(一八九三)、「マドンナ」などの各テーマが、エッチング、リトグラフ、木版画とさまざまな技法で追求されている。最後のコーナーでは「桟橋の少女たち」が版画となって登場する。
 こうしてみると、どの版画も油絵と関連がありながら、版画独自の面白さを駆使している。元のロビーに戻り、そこから地下ヘおりる。両側に版画の飾られた階段で、頭上に「グランド・カフェのイプセン」が掛けられている。地下の部屋は天井が低く、壁は白木造りである。版画の代表作「不安」「叫び」「マドンナ」、油彩画の「窓ぎわのキッス」「絶望」などの名作がある。
 ゆっくり鑑賞したあとで、美術館のレストランで楽しいひとときを過ごした。ムンクは幸せな画家である。ムンクの作品を愛する人々の手によって、この美術館は彼の生涯の作品を一つにまとめて永遠に存続させていくことだろう。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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