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トレチャコフ美術館(ロシア) 2009年8月4日更新
【和:トレチャコフびじゅつかん】 |
【英:Tretyakov Gallery】 |
研究機関|>トレチャコフ美術館(ロシア) |
トレチャコフ美術館はクレムリン宮殿の近くを流れるモスクワ川の右岸に建っている。一八七四年にカミンスキーの設計で建築され、幾度か増築されながら、一九〇一年にワスネツォフの設計で全面的に改築工事が行われて現在に至っている。ロシア色豊かで、ロシア絵画の美術館にいかにもふさわしい。ここには十一世紀のキーエフ・ルーシの記念物からロシアの歴史や生活を描いた現代作家の作品までが順序よく並べられている。部屋も広く天井も高い。作品数は四万点を数え、ロシア、旧ソビエト連邦時代の巨匠たちの作品はすべて網羅されている。 このスケールの大きい美術館は、十九世紀にロシアで亜麻商を営んでいた実業家、パーヴェル・ミハイロビッチ・トレチャコフとセルゲイ・ミハイロビッチ・トレチャコフの兄弟によって造られたものである。兄弟の父親は質素をモットーにした商人であったが、息子たちに仕事を教え込むかたわら、教養を身につけさせることにも心を砕いた。兄パーヴェルが十七歳のときに父親が亡くなったが、兄弟の努力の甲斐あって家業を伸ばし、紡績、綿織物の実業家として大成していく。パーヴェルが二十歳のとき、現在のサンクトペテルブルクに旅をして、エルミタージュ美術館で初めて本物の世界の名画にふれ、長い時間釘付けになった。それがきっかけとなって、自国の芸術家の作品を収集することになる。また、新しい芸術運動にも支援を惜しまなかった。弟のセルゲイの遺言で、二人で収集した作品のすべてがモスクワ市に寄贈された。こうしてトレチャコフ兄弟によるモスクワ市立絵画美術館は、一八九三年に華やかに歴史の幕をあけたのである。現在は国立美術館となり、他の個人所蔵品も加えられ、セルゲイのコレクションのうち外国人作家の作品はプーシキン美術館に移されている。
ここでは、シリデルの「誘惑」、ペロフ「復活祭の村の十字架行進」など移動展派の名作の数々を見ることができる。また、この時代に生きた優れた人物たちの肖像画は、三十年もの歳月をかけて集められたものである。パーヴェルの依頼で、ペロフ、クラムスコイ、レーピンといった画家たちが数多くの肖像画を制作しており、モデルとなった人間たちの内面までも描き出している。ペロフがドストエフスキーを描き、クラムスコイがトルストイを描いた。
時のロシア皇帝の反対にあったレーピンの「イワン大帝とその息子イワン」や教会の改革を描いた「大貴族夫人モロゾワ」は、移動展派の中でも傑出した作品である。イワノフの大作「民衆の前に現れたキリスト」も圧巻である。 パーヴェルは一八九八年に六十六歳で亡くなった。画家のワスネツォフは『トレチャコフは民族芸術を愛し、歴史的な国民的事業を成し遂げた。彼は単に芸術の保護者ではなく真剣な社会活動家であった』と述懐している。パーヴェルが望んだように、トレチャコフ美術館は口シア造形美術の宝庫として見事に統一されている。第二次世界大戦の戦火にも無傷であった。観光の合間にロシアの芸術運動の歴史にもふれてみてはいかがだろうか。 出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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