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ホイツトニー美術館(アメリカ) 2009年8月5日更新

ホイツトニー美術館(アメリカ)

【和:ホイツトニーびじゅつかん
【英:Whitney Museum of American Art
研究機関|>ホイツトニー美術館(アメリカ)

 ホイットニー夫人は、鉄道事業を営む父と銀行や蒸気船会社を営む夫をもった、経済的に恵まれた彫刻家であった。ニューヨークの八番街にある彼女のアトリエの近くにあったホイットニー・スタジオクラブが、現在のホイットニー美術館の基礎である。
 ニューヨークの近代美術館も三人の女性の発案で始まっており、また、ベニスのペギー・グッゲンハイム美術館もホイットニー夫人と同じように、ペギーやアーチストたちのサロンが美術館として公開されたものである。当時の女性の美術文化への積極的な姿勢には敬服してしまう。
 一九三〇年、ホイットニー夫人はジュリアナ・フォースを学芸員として迎え、「アメリカ美術のホイットニー美術館」をつくることにし、翌年一般公開した。当時、コレクションは七百点を数え、夫人が具象彫刻を作っていた関係かコレクションは具象画が多かったが、現代美術のビエンナーレ展も企画され、さらにコレクションは充実していった。
 一九四二年にホイットニー夫人が亡くなり、六年後にジュリアナ・フォースも亡くなった。このあたりから美術館の方針が変わり、それまでグループ展しか開催しなかったのが、個展も開催するようになった。その第一回展が国吉康雄展であった。国吉康雄とホイットニー夫人は旧知の友人であった。
 一九五四年に近代美術館の近くに移り、一九六六年、現在のマジソン街に美術館はオープンした。一九六一年、それまではホイットニー家の財源で賄ってきたのだが、一族以外からも出資を募り、その第一号がケネディ夫人であった。
 一九七〇年には、エドワード・ホッパーの未亡人から二千五百点の油彩、水彩、デッサン、版画が贈られた。現在、ホイットニー美術館は十万点に及ぶコレクションをもち、入場者数も年間六十万人を数えるようになった。コネチカットやダウンタウンにも分館をもち、年間企画の開催も十五回を超えている。
 重要なコレクションとしてはジャスパー・ジョーンズこの美術館は一九〇六年から現在に至るまで、カルナックの南で発掘を続けているだけあって、エジプト美術は質的にかなり高度なコレクションとなっている。
 二階はアジアと中近東の部屋で、ここに日本美術がある。古伊万里、十八世紀九谷焼、十七世紀鍋島、屏風、日本画、根付などから魯山人の作品まである。カタログによると写楽の浮世絵もコレクションにあるようだ。五―六世紀の日本の埴輪も素晴らしい。韓国、中国美術もある。
 一階へ戻ると、アフリカ、オセアニア、ラテン・アメリカ美術があり、これらも興味深い。 この美術館は一九九三年十二月に新しいウイングがオープンする。磯崎新とアメリカの建築家の合同設計による大きなプロジェクトで、これが完成するとブルックリン美術館は名実共に充実したものとなる。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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