名称:「民藝の系譜展 ― 河井寛次郎を中心に ―」西武池袋本店
会期:2022年4月27日(水)~5月10日(火)
開場時間:午前10時~午後8時
※最終日5月10日(火)は、当会場のみ午後4時にて閉場いたします。
会場:6階(中央B8)=西武アート・フォーラム
住所:〒171-0022 東京都豊島区南池袋1丁目28−1
TEL:03-3981-0111(代表)
URL:西武池袋本店
陶芸家・河井寛次郎の作品を中心とした民藝派の巨匠たちの作品展を開催いたします。
大正15年(1926)に、柳 宗悦(学者)、濱田庄司(陶芸)、河井寛次郎(陶芸)、富本憲吉(陶芸)らは民藝運動を起こし、美しく使いやすい道具を使うことで、庶民の日常生活を向上させようという考えを広げました。この民藝運動から、芹沢銈介(染色)、黒田辰秋(木工)、島岡達三(陶芸)など、日本を代表する工芸家が生まれ、また英国の芸術家であるバーナード・リーチも運動に参加し、東洋と西洋の文化を融合して、英国で新しい陶芸を生み出しました。
今回の展覧会では、民藝運動にゆかりの深い工芸家たちの作品を数多くとりそろえております。人から人へ大切に扱われることで、作品は戦火やさまざまな苦難を乗り越えることができました。生きる歓びにあふれる力強い作品を、会場にてご鑑賞いただければ幸いです。
戦前、民藝運動に最も積極的に参加していた頃の作。雑誌や新聞社への執筆活動や、自ら考案した竹材家具の展覧会プロモーションも行いながら、精力的に陶芸に取り組んでいました。この頃の作品に集中的に多く用いられているのが菱花文で、アイヌの刺繍の文様から発想を得た模様です。模様をとりかこむ地の色は辰砂(しんしゃ)とよばれる発色の難しい釉薬を使います。辰砂は薬品の調合により色味が大きく変わります。河井寛次郎の場合、若い頃にははっきりとした赤い色でしたが、年齢とともに寛次郎独特のやわらかな色調に移っていきます。
戦争の物資統制で昭和18年から3年間窯をたてることができなかったのですが、昭和21~22年から創作活動を再開しました。この頃からは型を利用した、従来の日本の陶芸にはあまりなかった非定型なかたち、それは作りにくいかたちではありますが、創作の喜びにあふれる作品を次々に生み出しています。その多くに華をそえるの筒描(つつがき)という技法。ケーキのデコレーションの要領で、スポイドに入れた柔らかい粘土を絞り出して文様を描く方法です。河井寛次郎はこの筒描を利用して、絞り出した線と線の間を複数の釉薬で彩り、花や鳥などの流動感にあふれる文様を描いています。
河井寛次郎本人は賞や名誉といったものに興味を持ちませんでしたが、友人で、寛次郎の仕事を長年支えてきた川勝堅一が、河井には黙って、自分が所蔵する作品をパリ万博(1937)に出品したところ、見事グランプリを獲得しました。その作品は、現在では京都国立近代美術館に寄贈されています。この作品は受賞作より小ぶりで、色や形が同じタイプのものです。どっしりとした安定感のある器体に、草花文が三つ描かれています。草花文は昭和初期から長年好んで用いた文様で、時代とともに形の変化が見られます。
昭和41年(1966)に76歳で亡くなる河井寛次郎の晩年期の特徴がよく表れた作品。晩年期に入ると、花器とも置物ともとれる、陶芸と彫刻が混ざり合ったような不思議な造形物が増えてきます。人生の色々な経験を積み重ね、融通無碍の境地にいたり、物事にとらわれない心の状態が作品に反映しているのでしょう。陶器の反対側には、無邪気な子どものような顔が貼文で形作られています。作品を見ていると、人肌の温かさがじんわりと伝わってきます。貼文(はりもん)とは、型押しで作った文様のパーツや粘土をちぎったものを器体の表面に貼り付けて作品に立体感をもたせる技法です。
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