名称:CACA現代アート書作家協会「円相の宙展 ~Π²/6の世界へ~」同時代ギャラリー
会期:2022/09/14(水) 〜 2022/09/18(日)
会場:同時代ギャラリー
時間:12:00~19:00(最終日は16:00まで)
料金:無料
住所:〒604-8082京都市中京区三条通御幸町東入弁慶石町56 1928ビル2F
TEL:075-256-6155
URL:同時代ギャラリー
「円相」って、ナニ?
岡本光平
筆と墨で丸を書く、この極めて単純な墨痕を禅の世界では「円相」と呼んできた。歴代の禅宗の主に臨済宗の僧侶たちが書いてきたもので、禅の教えのシンボリックなものでもある。
宇宙でもっとも美しいかたち
円相は、筆で書いたただのワンストロークの丸い形に過ぎないのに、どうして見る側の想像力をさまざまに刺激するのだろうか?
円や螺旋はこの自然界において根元的なかたちであることは誰でも想像がつく。人間の瞳、蝸牛の殻、地球、惑星、公転軌道、太陽、銀河、そして無限宇宙へ……。
この展覧会のサブタイトルのπ2/6は、素数を掛け合わすと円周率πにつながるという数学者オイラーの発見の数式である。π、つまり円は宇宙でもっとも美しいかたちである。
たかが円、されど円。それを宇宙塵か原子核のような小さな小さな人間が円相として書いて吐き出す。円にはこんな人智を超えた壮大なロマンが秘められているかと思うと、たかが丸いかたちだった円が、神々しい光を放っているように感じられてくる。
書の人間が円を描く
円というただのデザインを筆と墨で書くと、何らかの不測の化学反応に近いことが起きる。人間の不確かなフリーハンドで書かれた瞬間に、空間というものが認識される。しかも同じ円は書けない。その線に、同時に余白や空間性に、我々の脳のなかの何かが触発され反応している。美意識以前の感覚というか、原始本能が揺さぶられる。
円相は、今日的にはアートとして見ることもできる。文字でもなく一種の記号であり、抽象的な図象である。円は円以外の何ものでもなく、何も足せない、何も引けないミニマルなかたちである。禅宗の僧侶たちだけのトレードマークにしておくこともないだろう、と今回の展覧会の共通モティーフとして取り組んでみた。
我々のような書の人間が、アートのモティーフとして自由に円を書いたらどうなるか? 我々の丸は筆で書こうが、そうでなかろうが、それも自由。アートの世界は、モティーフから用いる素材道具、表現の手法までまったくのフリースタイルである。俳句で言うなれば種田山頭火や尾崎放哉の自由律俳句のようなものである。
そもそも円相とは何なのか? と思いを巡らせてみると、円は単純に見ればゼロである。古代インド人が発明した偉大なゼロの概念、哲学である。数学的なゼロの意味はもちろんだが、仏教的には「空」の思想に結びつく。
ではそのゼロはどこからやって来たのか?
仏教の歴史の観点から言うと、仏陀が涅槃に入った後、信者たちには偶像崇拝が禁じられていたので、仏陀の遺徳を偲んで円を描いて礼拝していたと伝わる。光輪である。やがて礼拝の対象は仏足石となり、ガンダーラでダイレクトなわかりやすい仏像が生まれた。光輪は仏像の光背として残っている。
余白、それは無限空間である
円という根元的でシンプルな図象を、イメージという無限の想像力で制作してみるとどんな“かたち”が出揃うか。
円相を筆で書いたとする。四角の白い紙に円というフォルム(形)と、ムーヴマント(線)が共存並立する画面になる。フォルムは知性に訴え、ムーヴマントは生理に直結する。そしてその両者によって瞬時に空間が生まれる。逆に空間を呼び起こすためにこれらがあると言ってもいい。この空間と隣り合わせにある余白は、日本の美意識の最たるものであり、先人たちの遺産である。
人間はイメージの生きものであり、イメージなくしては生きてゆくことはできない。イメージこそが生きる糧である。
円相は引き算、究極のイメージの“かたち”としてある。
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