名称:「華開く近代京都の陶芸-宇野三吾と河井寬次郎」滋賀県立陶芸の森
会期:2024年3月2日(土)〜2024年3月31日(日)
会場:滋賀県立陶芸の森 陶芸館ギャラリー
開館時間:9:30 〜 17:00
休館日:月曜日 月曜日が祝日の場合は月曜日開館し翌日休館
入場料:無料
住所:〒529-1804滋賀県甲賀市信楽町勅旨2188-7
TEL:0748-83-0909
URL:滋賀県立陶芸の森
日本の近代は、西洋の技術や文化を導入し始めた明治期から、白樺派などの個人主義的な精神性に代表される大正期、そして世界大戦へ向かう昭和初期という激変の時代でした。そのような時代を背景としながら、近代京都の窯業界は明治維新による旧来の社会構造の変革や需要の喪失、あるいは京焼を代表する名工が相次いで没したことにより、急速な近代化の必要性に直面していました。そのような状況下にあった窯業界の求めに応じ、陶磁器産業の振興や技術の向上、人材育成を目的として明治29(1896)年に京都市陶磁器試験所が設立されたのです。
宇野三吾(1902-1988)と河井寛次郎(1890-1966)は、京都市陶磁器試験場で当時最先端の技術を研究・習得し、異なる立場と思想から、近代京都の陶芸界において重要な足跡を残しました。京焼の名工・宇野仁松の四男である宇野三吾は、古典的な茶陶や数物などを手がける一方、前衛陶芸の先駆けとして知られる四耕会を結成するなど、様々な場面で自由な精神を生かした異色の存在でした。また、河井寛次郎は、東京高等工業学校を卒業後、京都市陶磁器試験場の技師を経て、京都の五条坂に窯を構え、思想家・柳宗悦とともに民藝運動を展開しました。無名の工人が手がけた民芸品に影響を受け、実用性を重視した作陶を土台にしつつ、「用」を超えた陶彫や様々な素材を扱い「すべてのものは自分の表現」と述べた表現者でした。
本展は、近年当館に寄贈された逸品の中から、多様な陶芸表現が広がった日本の近代陶芸を、2パートに分けて紹介する企画です。パート1として、近代京都において非常に重要な人物で、信楽とも関係の深い宇野三吾と河井寛次郎の作品を通じて、華開いた近代を見つめ直します。
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