「寺山修司展―世田谷文学館コレクション展 2024年度後期―」世田谷文学館

演劇実験室「天井棧敷」第一回公演ポスターの原画と(1967年頃・原画は横尾忠則)©テラヤマ・ワールド

名称:「寺山修司展―世田谷文学館コレクション展 2024年度後期―」世田谷文学館
会期:2024年10月5日(土)~2025年3月30日(日)
   ※会期途中に整備休館あり
会場:世田谷文学館
展示室:1階展示室
時間:10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)
休館日:月曜日(但、月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12月29日~1月3日)、館内整備期間(3月10日~18日)
観覧料:一般 200円(160円)
   高校・大学生 150円(120円)
   65歳以上、小・中学生、障害者手帳をお持ちの方 100円(80円)
   ※( )内は20名以上の団体利用や「せたがやアーツカード」等の各種割引料金です
   ※各種割引については、手帳など証明できるものをお持ちください
   ※障害者手帳をお持ちの方で大学生以下は無料になります
   ※障害者手帳をお持ちの方の介添え者(1名まで)は無料になります
   ※10月5日(土)は60歳以上入場無料、11月8日(金)は65歳以上入場無料
   ※11月16日(土)・17日(日)はセタブンマーケット開催に伴い入場無料
住所:〒157-0062東京都世田谷区南烏山1-10-10
TEL:03-5374-9111
URL:世田谷文学館

渋谷に落成した天井棧敷館の前で(1969年)©テラヤマ・ワールド
渋谷に落成した天井棧敷館の前で(1969年)©テラヤマ・ワールド

表現活動の豊かな可能性を模索した寺山修司(1935~83)は、様々な芸術分野を横断することでその才能を遺憾なく発揮しました。現在も、戯曲の再演や映画上映などを通じて、若い世代を含めたファンは増え続けています。また、近年では教科書に取り上げられるなど、寺山作品は思春期の感受性豊かな若者に、時代を越えて語り続けており、その作品の普遍性が新たな読者を獲得していくのです。
寺山修司は、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後「俳句」や「短歌」などの定型詩から、自由詩へと創作活動の基盤を移し、歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。そして、30歳を前後する1960年代後半には世田谷区下馬へ移り住み、演劇実験室「天井棧敷」を設立します。長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していく、寺山にとって節目となる時期がこの世田谷時代でした。
寺山生誕90年にあたり、本展ではこれまで世田谷文学館で収蔵してきた関連コレクションを一堂に展示します。自筆の書簡や「天井棧敷」に関する資料(原稿・台本・ポスター)など約150点の資料で、寺山修司の人物像とその活動を紹介します

『われに五月』を出版の頃(1957年)©テラヤマ・ワールド
『われに五月』を出版の頃(1957年)©テラヤマ・ワールド
『大山デブコの犯罪』の本読み風景 ©テラヤマ・ワールド
『大山デブコの犯罪』の本読み風景 ©テラヤマ・ワールド
ファイティングポーズをとる寺山修司 ©テラヤマ・ワールド
ファイティングポーズをとる寺山修司 ©テラヤマ・ワールド
寺山修司 ©テラヤマ・ワールド
寺山修司 ©テラヤマ・ワールド
寺山修司 中野トクあて書簡・複製(1956年3月3日消印)©テラヤマ・ワールド
中学校の国語教師へあてた手紙。直接の教え子ではなかったものの、中野は良き相談相手として思春期の寺山を支えた。
寺山修司 中野トクあて書簡・複製(1956年3月3日消印)©テラヤマ・ワールド 中学校の国語教師へあてた手紙。直接の教え子ではなかったものの、中野は良き相談相手として思春期の寺山を支えた。
寺山修司 松井牧歌あて年賀状・複製(1957年)©テラヤマ・ワールド
「眼から空へと / 巣をかけてとぶ / 小鳥の明日を / 五十七年元旦 寺山修司」
「牧羊神」同人の友へあてた葉書。「牧羊神」は、寺山が全国の高校生に呼びかけて創刊した俳句誌。
寺山修司 松井牧歌あて年賀状・複製(1957年)©テラヤマ・ワールド 「眼から空へと / 巣をかけてとぶ / 小鳥の明日を / 五十七年元旦 寺山修司」 「牧羊神」同人の友へあてた葉書。「牧羊神」は、寺山が全国の高校生に呼びかけて創刊した俳句誌。
寺山修司 仁木悦子あて葉書(1958年7月15日消印)©テラヤマ・ワールド
推理作家で童話作家の仁木へあてた葉書。「江戸川(乱歩)氏に電話しました。のびてもいゝそうです」と、締切に窮する仁木を思いやる言葉が並ぶ。
寺山修司 仁木悦子あて葉書(1958年7月15日消印)©テラヤマ・ワールド 推理作家で童話作家の仁木へあてた葉書。「江戸川(乱歩)氏に電話しました。のびてもいゝそうです」と、締切に窮する仁木を思いやる言葉が並ぶ。
寺山修司『ブルース一九六〇』複製(1960年)©テラヤマ・ワールド
「一本の / 樹にも / ながれている血がある / こゝでは血は / 立ったまま眠っている」
戯曲『血は立ったまま眠っている』(1960年 浅利慶太演出 劇団四季)の劇中で歌われたブルースの歌詞。原稿用紙1枚目左上には、鉛筆書きで「一本の/樹にも電柱にも/ながれている血がある/こゝでは血は/立ったまま眠っている」とあり、2枚目で「電柱」が「樹」に直されている。
寺山修司『ブルース一九六〇』複製(1960年)©テラヤマ・ワールド 「一本の / 樹にも / ながれている血がある / こゝでは血は / 立ったまま眠っている」 戯曲『血は立ったまま眠っている』(1960年 浅利慶太演出 劇団四季)の劇中で歌われたブルースの歌詞。原稿用紙1枚目左上には、鉛筆書きで「一本の/樹にも電柱にも/ながれている血がある/こゝでは血は/立ったまま眠っている」とあり、2枚目で「電柱」が「樹」に直されている。
寺山修司『ブルース一九六〇』複製 ©テラヤマ・ワールド
「一本の / 樹にも / ながれている血がある / こゝでは血は / 立ったまま眠っている」
戯曲『血は立ったまま眠っている』(1960年 浅利慶太演出 劇団四季)の劇中で歌われたブルースの歌詞。原稿用紙1枚目左上には、鉛筆書きで「一本の/樹にも電柱にも/ながれている血がある/こゝでは血は/立ったまま眠っている」とあり、2枚目で「電柱」が「樹」に直されている。
寺山修司『ブルース一九六〇』複製 ©テラヤマ・ワールド 「一本の / 樹にも / ながれている血がある / こゝでは血は / 立ったまま眠っている」 戯曲『血は立ったまま眠っている』(1960年 浅利慶太演出 劇団四季)の劇中で歌われたブルースの歌詞。原稿用紙1枚目左上には、鉛筆書きで「一本の/樹にも電柱にも/ながれている血がある/こゝでは血は/立ったまま眠っている」とあり、2枚目で「電柱」が「樹」に直されている。
寺山修司特製の原稿用紙・複製 ©テラヤマ・ワールド
寺山修司特製の原稿用紙・複製 ©テラヤマ・ワールド
寺山修司『われに五月を』(1957年 作品社刊)
中井英夫の尽力で出版された第一作品集。当時、寺山は腎臓疾患のネフローゼ症候群を患い入退療養中であった。
寺山修司『われに五月を』(1957年 作品社刊) 中井英夫の尽力で出版された第一作品集。当時、寺山は腎臓疾患のネフローゼ症候群を患い入退療養中であった。
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』(装幀:横
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』(装幀:横
横尾忠則《演劇実験室「天井棧敷」創立時の劇団案内用ポスター》(1967年)©ヨコオズ・サーカス
掲示するとまたたく間に若者たちに持ち去られたという、天井棧敷設立当初の伝説のポスター
横尾忠則《演劇実験室「天井棧敷」創立時の劇団案内用ポスター》(1967年)©ヨコオズ・サーカス 掲示するとまたたく間に若者たちに持ち去られたという、天井棧敷設立当初の伝説のポスター
早稲田大学入学直後(1954年)©テラヤマ・ワールド
早稲田大学入学直後(1954年)©テラヤマ・ワールド
演劇実験室「天井棧敷」第一回公演ポスターの原画と(1967年頃・原画は横尾忠則)©テラヤマ・ワールド
演劇実験室「天井棧敷」第一回公演ポスターの原画と(1967年頃・原画は横尾忠則)©テラヤマ・ワールド

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