名称:「現代の町絵師 笑いと反骨の画家 田島征彦展」安曇野ちひろ美術館
開催期間:2021年6月5日(土)~9月5日(日)
住所:〒399-8501長野県北安曇郡松川村西原3358-24
TEL:0261-62-0772
URL:安曇野ちひろ美術館
田島征彦は大阪の堺に生まれ、高知で育ちます。自然豊かな土佐の野山をかけまわり、魚を捕りながら、幼いころに姉の教科書に描かれた椿の花の絵を見て、このような絵が描ける画家になりたいと決心。双子の弟・征三とともに、限られた材料で絵を描く一方、楽しみだった図工の時間では思うように描けない、つくれないことに癇癪をおこし、しょっちゅう泣いていた少年時代でした。田島は美大への進学を直前に決めたため、高校の先生に今から受かる可能性のある学校として京都市立美術大学の染織科をすすめられます。最初は自分に向いていないと断ったものの、入学後好きなことができると諭され出願し、合格します。しかし大学時代は、学内の劇団での活動に熱中し、染織にはほとんど関心を示しませんでした。
現代美術やイラストレーションなど幅広く関心をもっていた田島は、在学中に課題で絵本をクラス全員で制作した後、自ら同級生を誘い、物語まで考えた絵本『りんごと宝石』をつくります。さらに、翌年はシルクスクリーンで絵本『まざあぐうす』を制作し、東京でデザインを学んでいた征三に見せるために持参します。今では見られたものではないというものの、これらは田島の絵本の出発点ともいえます。卒業を控え、就職すると制作の時間や場所を失うことに気づき、田島は同大学の専攻科に進学し、ようやく本格的に染織を始めました。
『祇園祭』いまむかし
1973年に田島は京都新聞の連載のために、京都や滋賀の祭を題材にした作品を制作します。その作品の展覧会を見た童心社の編集者に、日本の祭をテーマにした絵本をつくらないか、と声をかけられ、田島は染織科の恩師であり、人間国宝の稲垣稔次郎が語った「祇園祭は太陽にむかうての行進なんや」ということばを思い出し、引き受けます。専攻科を卒業後、大学で講師をしながら制作を続けていた田島は翌年制作に専念するために仕事を辞め、京都の田舎へ引っ越します。それは、東京の日の出村で畑を耕しながら絵を描く征三の生活が頭にあったからだといいます。
2 年の取材と、4 年の制作期間を経て1976年に初めての絵本として『祇園祭』を出版。そこには、洛中洛外図屏風(舟木本)に描かれた17世紀の祇園祭のようすからはじまり、祭をさまざまな場面で支える人たちが、祭の経過を追って、恩師の稲垣が用いたのと同じ型絵染という技法で布に表現されています。肌が黒色で表された人物は、祭の華やかな色彩を一層ひきたてています。
『祇園祭』出版時の取材で「あと5 年かかるか10年かかるか知れませんが、祇園祭と取り組みたい」と語った田島は、この祭を題材にした小説『火の笛』の絵本版を1980年に出版し、室町時代の庶民の悲哀を絵巻のように表現しました。その約30年後、京都で祇園祭と同じ時期に染織でこの祭を制作・展示することを提案し、以後現在に至るまで新作を毎年つくり続けています。本展にも出展される大作「喧騒の中で」は、現代と過去の祇園祭の山車や人々が、縦に横に重なりあう壮観な作品です。
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