名称:「Viva Video! 久保田成子展」東京都現代美術館
会期:2021年11月13日(土)〜2022年2月23日(水・祝)
会場:東京都現代美術館 企画展示室 3F
住所:東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
休館日:月曜日(1月10日(月・祝)、2月21日(月)は開館)、年末年始(12月28日(火)〜1月1日(土・祝))、1月11日(火)
開館時間:10:00〜18:00(展示室入場は閉館30分前まで)
観覧料:一般 1,400円、大学生・専門学校生・65歳以上 1,000円、中高生 600円、小学生以下 無料(保護者の同伴が必要)
※本展チケットで「MOTコレクション」も観覧可
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
協賛:ライオン、DNP大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網
助成:テラ・アメリカ美術基金、文化庁・令和2年度文化庁優れた現代美術の国際発信促進事業、公益財団法人ポーラ美術振興財団
住所:〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
TEL:03-5245-4111(代表)
URL:東京都現代美術館
東京都現代美術館では、新潟に生まれ、国際的に活躍した久保田成子(1937-2015年)の没後初、日本では約30年ぶりの大規模な個展を開催します。映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」で知られる久保田は、ヴィデオ・アートの先駆者の一人とみなされています。しかしながら、彼女の現代美術への貢献は、十分に評価されているとはいえません。
本展の目的は、アメリカを拠点に日本人女性アーティストとして活動した久保田成子について、最新かつ文脈に沿った研究成果を国際的な観客に提供することにあります。2015年に彼女が亡くなった直後、その遺産を保護し、さらに発展させるために、久保田成子ヴィデオ・アート財団がニューヨークに設立されました。財団の全面的協力によって開催される本展では、復元されたヴィデオ彫刻のほか、作家によって保管されていたドローイング、資料などを中心に、国内美術館の所蔵品や作家の遺族からの借用品を含め、初公開資料を多数展示します。
ヴィデオというメディアの黎明期に、世界を舞台に自らの芸術を展開する一人の女性作家として、何を考え、どのように表現を追求したのか。新潟県立近代美術館、国立国際美術館との協働で企画された本展では、代表作「デュシャンピアナ」シリーズをはじめ、ヴィデオ彫刻、映像作品、それらのためのスケッチやアーカイヴ資料などにより、久保田の仕事を多角的に展覧します。
展覧会の見どころ
没後初、日本では約30年ぶりの大規模個展で、日本初公開作品・資料も多数展示
1992年の冬季オリンピックで銀メダルを獲得したフィギュアスケート選手、伊藤みどりをモデルにした《スケート選手》(1991-92年)や夫ナムジュン・パイクの故郷の墓をモチーフにした《韓国の墓》(1993年)などは日本初公開のヴィデオ彫刻です。また、様々な作家との交流を示す写真や手紙といった資料の多くは世界初公開となります。
ヴィデオ彫刻以前の活動を含む、久保田の初期から晩年までの創作活動を紹介
ヴィデオ彫刻で一躍有名になる以前の「フルクサス」での活動や「ソニック・アーツ・ユニオン」との関わり、またヴィデオ・アートに取り組み始めた最初期の活動といった、これまでほとんど知られていなかった久保田成子の一面をご紹介します。
代表作「デュシャンピアナ」シリーズを一堂に展示
マルセル・デュシャンとの出会いから作られた一連の代表作を一堂に会し、デュシャンへの敬意とそれを乗り越えようとする久保田の挑戦を、作品を通してご覧いただきます。
展覧会の構成
1.初期:新潟から東京へ
久保田の新潟での生い立ちと東京での活動を、個人的な資料や写真、初期の作品などを通して紹介します。
1937年生まれの久保田は比較的自由な家庭環境で育ち、彫刻家を志して東京教育大学(現・筑波大学)で学びました。1960年に大学を卒業すると、東京の前衛美術のコミュニティに参加しました。内科画廊での初個展(1963年)の資料とともに、同時代のグループ音楽、ハイレッド・センター、オノ・ヨーコやナムジュン・パイクらとの関係を紹介しながら、東京時代の久保田の足跡を明らかにしていきます。女性アーティストの活躍の場が限られていることに失望した久保田は1964年、ニューヨークへの移住を決意します。
2. 渡米:フルクサス、パフォーマンス、ソニック・アーツ・ユニオン
渡米した1964年以降、前衛芸術家集団「フルクサス」での活動や、ニューヨークを拠点とする国際的なアーティストたちとの交流をたどります。
久保田は、フルクサスの代表であるジョージ・マチューナスと協働しながら、ウィットに富んだフルクサスのオブジェ《フルックス・ナプキン》(1965年)や《フルックス・メディシン》(1966年)を制作しました。フルクサスのイベントの一環として発表したパフォーマンス《ヴァギナ・ペインティング》(1965年)は一部に悪評を呼びましたが、その妥当性は現在、美術史や社会文化史の中で評価されています。
また、60年代終わりでは、彼女の最初の夫である作曲家デイヴィッド・バーマンを含むソニック・アーツ・ユニオンとの関わりにも焦点を当てます。
- 3.ヴィデオとの出会い
ソニーのポータパックを担ぎ、一人でヨーロッパを旅しながら撮影した初期のシングルチャンネル・ヴィデオ作品《ブロークン・ダイアリー:ヨーロッパを一日ハーフインチで》(1972年)をはじめ、メアリー・ルシエなどの女性アーティストとのコラボレーションも紹介され、ヴィデオというメディアへの移行を示します。
4.「デュシャンピアナ」シリーズ:ヴィデオ彫刻の誕生
1968年のマルセル・デュシャンとの偶然の出会いから、デュシャンとジョン・ケージのチェス・コンサート「リユニオン」を題材とした音声記録付き作品集『マルセル・デュシャンとジョン・ケージ』(1970年)を発表します。その後、デュシャンへのオマージュとして始めた「デュシャンピアナ」のシリーズでは、久保田の代名詞となるヴィデオ彫刻の傑作を生み出しました。
そのうちの一つ《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》(1975-76/83年)は、階段を歩く女性ヌードモデルの動きを木製の階段の中に設置された4台のモニターに映し出したもので、デュシャンの有名な絵画を映像という媒体でウィットに富んだ解釈で再構成。ニューヨーク近代美術館が初めて収蔵したヴィデオ・インスタレーション作品となりました。1977年にドイツのカッセルで開催された国際美術展「ドクメンタVI」に招待されて以降は、ヨーロッパを含め国際的に評価が高まります。
5.ヴィデオ彫刻の拡張
1980年頃から制作された作品では、水やモーター、プロジェクションによる動きといった要素を取り入れていきます。それによって、ヴィデオ彫刻が空間的にも時間的にも拡張していく様子を紹介します。
《河》(1979-81年)は、天井から下向きに吊るされた3台のモニターと、揺れ動く水で満たされたステンレス製の水槽で構成されています。《ナイアガラの滝》(1985/2021年)は、大小10台のモニターが組み込まれた構造物の前にシャワーが置かれ、滝のように水が滴り落ちます。これらの作品は鑑賞者に複数の視点からの相互作用と思索を誘います。
- 6.芸術と人生
1991年にニューヨークのアメリカン・ミュージアム・オブ・ザ・ムービング・イメージで開催された美術館での初個展は、東京をはじめ国際巡回しましたが、1996年に夫のパイクが脳梗塞で倒れたことで、久保田は作家としてのキャリアの中断を余儀なくされました。
2006年にパイクが亡くなるまでの10年間、障害のある夫を全面的にサポートした後、人生の最後の10年間は自らも病と闘いながら、パイクへの愛をテーマにしたユーモアのある作品を制作します。
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