「山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」ワタリウム美術館

「山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」ワタリウム美術館

名称:「山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」ワタリウム美術館
会期:2023年8月11日(金・祝)〜11月19日(日)
会場:ワタリウム美術館
住所:東京都渋谷区神宮前3-7-6
開館時間:11:00〜19:00
休館日:月曜日(9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館)
入館料:大人 1,400円、大人ペア 2,400円、学生(25歳以下)・高校生・70歳以上 1,200円、小・中学生 700円
   ※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所持者および介助者(1名まで)は1,200円
   ※入館料のうち、1人200円を義捐金としてトルコ地震の被害地に寄付
主催:山田寅次郎展実行委員会(一般社団法人山田家・駐日トルコ共和国大使館・ワタリウム美術館)
展示協力:三菱ケミカル株式会社 / 株式会社堀内カラー / 二チエ株式会社
出品協力:一般社団法人日本建築学会 / 東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センター / ジャン コレクション(ジャン チェティンカヤル)
実行委員長:隈研吾(建築家)
会場デザイン:山田紗子建築設計事務所
グラフィックデザイン:山本和久(DONNY GRAFIKS)
アニメーション映像:梶原洋平
テキスト:末澤寧史
住所:〒150-0001東京都渋谷区神宮前3-7-6
TEL:03-3402-3001
URL:ワタリウム美術館

山田寅次郎が著した『土耳古畫觀』(1911年)より ドイツ皇帝より寄贈せる施水場
山田寅次郎が著した『土耳古畫觀』(1911年)より ドイツ皇帝より寄贈せる施水場

明治時代の青年たちは、更なる魅力ある日本を求めて、世界へ出て見聞を広めた。
1890年、日本に到着したオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号が、帰路、台風で乗組員のほとんどが命を落とした事故に心を痛めた青年、山田寅次郎は義捐金活動を開始、集めた義捐金を持参しオスマン帝国へと向かった。
わずか24歳の目に映ったのはオスマン文化の荘厳さと人々の暖かさだった。この展覧会は、山田寅次郎という明治の人物を介し、日本とトルコという異なる歴史を持つ2つの国が交流する様子を伝えながら、相手の文化を深く尊敬することの大切さを感じる機会としたい。
山田寅次郎
やまだとらじろう
(1866-1957)
1866 年(慶應 2 年)、山田寅次郎は上州沼田藩土岐家・江戸詰家老職を務める武家に誕生。15歳、茶道宗徧流家元の養子になる。東京薬学校(現・東京薬科大学)卒業後、語学を学ぶ。幸田露伴、尾崎紅葉、福地櫻痴など文化人と交流。日本初のタウンページ「東京百事便」を発行。
トルコ軍艦エルトゥールル号海難事故の義捐金を届けるためトルコへ。オスマン帝国アブデュルハミト2世に謁見。トルコに約 10 年滞在。トプカプ宮殿内東洋美術の分類、日土貿易を行うかたわら伊東忠太、徳富蘇峰などトルコ訪問する日本人のサポートをした。日露戦時、日本政府の依頼でボスポラス海峡近くから「バルチック艦隊」の動静を見張る。日本に帰国後、製紙会社設立し事業家として活躍後、57 歳、茶道宗徧流八世家元襲名。 1957 年(昭和 32 年)91 歳没。

山田寅次郎が著した『土耳古畫觀』(1911年)より 大橋上の群衆
山田寅次郎が著した『土耳古畫觀』(1911年)より 大橋上の群衆
日本のミネラルウォーターのチラシ 一般社団法人山田家蔵
日本のミネラルウォーターのチラシ 一般社団法人山田家蔵
伊東忠太が山田寅次郎に送った葉書 1905年 一般社団法人山田家蔵
伊東忠太が山田寅次郎に送った葉書 1905年 一般社団法人山田家蔵
オスマン帝国メジディエ勲章をつけた山田寅次郎 1904年 一般社団法人山田家蔵
オスマン帝国メジディエ勲章をつけた山田寅次郎 1904年 一般社団法人山田家蔵
トルコ国旗茶碗
一般社団法人山田家蔵
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八世希斎宗有好 トルコ帽型釜
一般社団法人山田家蔵
八世希斎宗有好 トルコ帽型釜 一般社団法人山田家蔵
山田寅次郎展_作品
天球棚 モスクをイメージして作った茶道で使う棚
一般社団法人山田家蔵
山田寅次郎展_作品 天球棚 モスクをイメージして作った茶道で使う棚 一般社団法人山田家蔵
伊東忠太が山田寅次郎に送った葉書
一般社団法人山田家蔵
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