「大正・昭和のモダニスト 蕗谷虹児展」平塚市美術館

蕗谷虹児《さやからとびでた五つぶの豆(『世界名作童話全集 アンデルセン おやゆび姫』挿絵原画)》1942年、蕗谷虹児記念館蔵

名称:「大正・昭和のモダニスト 蕗谷虹児展」平塚市美術館
会期:2024年10月5日(土)~2024年11月24日(日)
会場:平塚市美術館
展示室:展示室Ⅰ
時間:9:30~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日:月曜日、10月15日(火)、11月5日(火)
    ※ただし、10月14日、11月4日は開館
観覧料:一般 800円(640円)
    高大生 500円(400円)
    中学生以下 無料
    ※( )内は20名以上の団体料金
    ※毎週土曜日は高校生無料
    ※各種障がい者手帳の交付を受けた方と付添1名は無料
    ※65歳以上で平塚市民の方は無料、市外在住の方は団体料金(年齢・住所を確認できるものを要提示)
住所:〒254-0073神奈川県平塚市西八幡1-3-3
TEL:0463-35-2111
URL:平塚市美術館

蕗谷虹児《かっぱの子(『詩画集 花嫁人形』原画)》1935年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《かっぱの子(『詩画集 花嫁人形』原画)》1935年、蕗谷虹児記念館蔵

蕗谷虹児(ふきやこうじ 1898-1979)は、新潟県で生まれ、1913年に日本画家を目指して上京しますが、竹久夢二の紹介で少女雑誌の挿絵を描くようになると、またたく間に時代の寵児となりました。
1925年には本格的に絵を学ぶためにパリに留学し、サロン入選や個展の開催により、画家として活動していくことに自信を深めます。しかし、1929年に生活のために志半ばで帰国。その後は再び少女雑誌の仕事を手がけ、1930年代にかけてモダンな女性像により人気の絶頂を迎えました。流行のファッションに身を包み、強い眼差しを持つ女性像は、近代的なライフスタイルにあこがれる多くの女性たちにとって象徴的なアイコンとして機能したといえるでしょう。
戦後は、童話や絵本の挿絵のほか、アニメーションの仕事にも取り組み、少女向けの仕事から離れて新たな境地を開拓。晩年は、個展を中心に可憐な少女像を発表して変わらぬ人気を博し、1979年に80歳でその生涯を閉じました。1987年には、幼少期を過ごした新潟県新発田市に記念館がオープンし、現在にいたるまで多くの来館者に愛されています。
本展では、少女雑誌の表紙や挿絵の原画、パリ時代の作品、童話や絵本の挿絵の原画、アニメーションの原画など約500点が一堂に会し、およそ60年におよぶ虹児の画業を回顧します。大正から昭和戦前にかけて、文化や芸術が大衆のものとして浸透していく過程で、出版界の花形として虹児が果たした役割がいかに大きいものであったかを感じ取っていただくとともに、戦後の児童文化に残した足跡をご堪能ください。

蕗谷虹児《秋の声(『少女倶楽部』第3巻第10号口絵原画)》1925年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《秋の声(『少女倶楽部』第3巻第10号口絵原画)》1925年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《睡蓮の夢(『睡蓮の夢』原画)》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《睡蓮の夢(『睡蓮の夢』原画)》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《『睡蓮の夢』箱原画》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《『睡蓮の夢』箱原画》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《萠芽(『睡蓮の夢』原画)》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《萠芽(『睡蓮の夢』原画)》1924年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《船…形見の扇(別れ四題)(『令女界』第4巻第7号口絵原画)》1925年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《船…形見の扇(別れ四題)(『令女界』第4巻第7号口絵原画)》1925年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《表紙原画(『令女界』第27巻第2号)》1949年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《表紙原画(『令女界』第27巻第2号)》1949年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《さやからとびでた五つぶの豆(『世界名作童話全集 アンデルセン おやゆび姫』挿絵原画)》1942年、蕗谷虹児記念館蔵
蕗谷虹児《さやからとびでた五つぶの豆(『世界名作童話全集 アンデルセン おやゆび姫』挿絵原画)》1942年、蕗谷虹児記念館蔵

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