名称:古屋誠一 「第一章 妻 1978.2-1981.11」東京工芸大学 写大ギャラリー
会期:2022年6月10日(金)~2022年8月6日(土)
開廊時間:10:00〜19:00、土曜日は17:00まで
休館日:木曜日・日曜日は休廊、7月18日は休廊
入場料:無料
会場:写大ギャラリ
〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7 5号館(芸術情報館)2F
TEL:03-3372-1321 (代)
地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車 1番出口・徒歩7分
URL:東京工芸大学 写大ギャラリー
この度、写大ギャラリーでは本学の卒業生である写真家・古屋誠一の作品『Christine Gössler 1978-1985』のシリーズなどを中心に364点をコレクションいたしました。一度の収蔵点数としては非常に多い数になります。これを記念して、第一章、第二章と2回にわけて、古屋誠一の世界をご紹介いたします。第一章では「妻」、第二章(11月開催予定)では「母」をテーマとします。モノクロ作品はすべて古屋自身の手によって1990年代にプリントされたものです。
古屋誠一は東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)を卒業後、1973年、23歳のときに横浜港からナホトカ号、シベリア鉄道などを乗り継ぎ、ヨーロッパへ向かいました。二度と日本に帰らない、という強い意思をもった旅立ちでした。
ウィーンで数年を過ごしたのち、オーストリア第二の都市グラーツでクリスティーネ・ゲスラー(Christine Gössler)という一人の女性と出会い、結婚。その後一児をもうけます。古屋はクリスティーネと出会った直後からその姿を撮り始め、結婚後も日常的に撮り続けました。やがてクリスティーネは病を患った末に東ベルリンのアパートの上階から身を投げます。
古屋がクリスティーネと過ごした歳月は7年と8ヶ月ほど。その日々を『Mémoires(メモワール)』と題した5冊の写真集として上梓。彼女の死後、二人が過ごした3倍近い歳月(最初の発刊から21年)をかけて断続的に発行され続けてきたものです。
今回、写大ギャラリーに収蔵された作品は古屋とクリスティーネが共に過ごした歳月をほぼ完全に網羅する貴重なものです。古屋がクリスティーネに最初にカメラを向けた初々しい一枚、そしてクリスティーネが亡くなる前日に東ドイツのポツダムで撮られた一枚が含まれています。
それらの作品群から、第一章では息子・光明を出産する直前までのクリスティーネの姿に注目します。夫・古屋との関係を強く感じさせるものとなります。第二章では息子・光明を出産して母となったクリスティーネの姿を紹介します。こちらは息子・光明と母・クリスティーネの関係、そして父・古屋との関係を感じさせるものとなります。
子供の誕生によって、時に夫婦は大きくそのかたちやバランスを変えます。クリスティーネと古屋もまさにそれにあてはまります。妻、夫という顔だけでなく母、父という顔も持たされることになるからです。妻-夫、母-父、母-夫、妻-父といった意外なほど複雑な関係が生まれます。クリスティーネと古屋は文化、習慣、宗教、言語といったものが大きく異なる外国人同士の結婚でもあり、夫婦のありようがより際立って感じられる側面も持っています。そのかたちに注目することは、普遍について問うことにもなるはずです。
(企画構成 小林紀晴)
古屋 誠一(ふるや せいいち, 1950年―)
1950年、静岡県賀茂郡賀茂村宇久須(現・西伊豆町)に生まれる。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)で写真を学んだ後、1973年にヨーロッパへ向かう。1975年からオーストリア第二の都市グラーツを生活の拠点とする。代表作は妻クリスティーネをテーマとした写真集『Mémoires』(5冊刊行)。これまでにヨーロッパ、アメリカ、日本などで多くの展覧会を開催している。最近では『Mémoires』から10年の時を経て、やはりクリスティーネを扱った写真集『Face to Face』(2020年)、『First Trip to Bologna 1978 / Last Trip to Venice 1985』(2022年)などを発刊。また写真専門誌『Camera Austria』 の創刊、編集にも深く関わり、1980年代から日本の写真家、写真文化を広くヨーロッパに紹介した。グラーツ在住。
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