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孟嘗君 2008年08月22日(金)更新
(?~前二七九年頃)
食客という言葉がある。任侠の世界で、金持ちの家で何をするでもなくごろごろとしている居候のことをいう。普段はただで飯を食べているだけだが、何かのときに役に立つ(かもしれない)人々で、気持ちにも経済的にも余裕のある人が、こうした食客を家に何人も抱えていた。食客は自分を食わせてくれそうな人がいると聞けば、どこの国にも行ったので、食客が多くいることは、その人物が全中国的に有名なことを意味していた。つまり、食客の数は、人気と財力のバロメーターだった。戦国時代後期、貴族のなかに食客を何百人も抱えるものがいた。そのなかでも特に有名な四人を「戦国の四君」という。彼らは各国の王の一族や側近で、数千人の食客をかかえていた。政治家でもあったが、学問と芸術の保護者(いまでいうパトロン)でもあつた。
最も有名なのが、斉の孟嘗君。斉の威王の末っ子で、王位には就かなかったが、莫大な私財があったので数千人の食客を抱えていた。孟嘗君は従兄弟の湣王のもとで宰相となったが、その評判が高くなると、王との仲が悪化した。それを聞きつけた秦の昭裏王が、孟嘗君を宰相として招いたが重臣たちが大反対したので気が変わり、やってきた孟嘗君を監禁してしまう。その窮地を救ったのが、食客だった。昭裏王には愛妾がいて、彼女の言う事なら何でもきいた。そこで、食客のなかで犬の物真似をして盗みの得意な者(狗盗という)が、愛妾が欲しがっているという狐の毛皮を王宮から盗み出した。これを愛妾に渡すと、昭裏王に執り成してもらい、釈放された。しかし、またいつ昭襄王の気が変わるか分からないので、孟嘗君は逃げ出し、 一行は真夜中に国境まで辿りついた。だが、 一番鶏が鳴くまで関所の門は開かない決まりになつていた。そこで、食客のひとりが鶏の真似をして鳴いた(鶏鳴という)。すると、門は開いたのである。どんなくだらない芸でも役に立つことを、この故事から「鶏鳴狗盗」という。
斉に戻ると、孟嘗君は宰相に復帰し、韓と魏と同盟を組み、秦を攻撃した。だが、斉の湣王が裏切り、秦と手を結んでしまい、宰相職を解任されてしまつた。そこで、魏に亡命し、宰相になった。湣王の死後、自分の領地に戻って死んだ。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編
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