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春申君 2008年08月22日(金)更新
(?~前238年頃)
食客という言葉がある。任侠の世界で、金持ちの家で何をするでもなくごろごろとしている居候のことをいう。普段はただで飯を食べているだけだが、何かのときに役に立つ(かもしれない)人々で、気持ちにも経済的にも余裕のある人が、こうした食客を家に何人も抱えていた。食客は自分を食わせてくれそうな人がいると聞けば、どこの国にも行ったので、食客が多くいることは、その人物が全中国的に有名なことを意味していた。つまり、食客の数は、人気と財力のバロメーターだった。戦国時代後期、貴族のなかに食客を何百人も抱えるものがいた。そのなかでも特に有名な四人を「戦国の四君」という。彼らは各国の王の一族や側近で、数千人の食客をかかえていた。政治家でもあったが、学問と芸術の保護者(いまでいうパトロン)でもあつた。
楚の春申君は、王の一族ではなかったが、楚の頃襄王に仕えた。戦国四君の一人。秦に友好関係を結ぶために派遣され、成功した。頃襄王の死後はその子の孝烈王のもとで宰相となつた。前二四一年に他国と連合して秦と戦うが大敗。さらに、前二三七年、春申君は孝烈王の世継ぎをめぐる陰謀劇に巻き込まれ殺され、 一族も食客もみな殺しにされた。秦によって楚が滅亡するのは、時間の問題となった。出所:『覇王列伝』大陸の興亡編
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