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書状(風信帖) 2009年3月13日更新
【和:しよじょう・ふうしんじょう】 |
【中:Shu zhuang】 |
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空海筆
一巻
紙本墨書
縦二八・八 全長一五七・九
平安時代・九世紀
京都・教王護国寺
空海(七七四~八三五)から最澄(七六七~八二二)に宛てた手紙三通を一巻に仕立てたもの。一通目の書き出しが「風信雲書」で始まることから、この名前で呼ばれる。一通目は、最澄からの手紙に対する返信で、『摩詞止観』を贈られたことに対する礼状である。仏法の重要な教義や因縁について討論するために、下山して空海のいる高雄山寺(現在の神護寺)へ来訪することを懇願している。宛名の「東嶺金蘭」は京からみて東の峰にある延暦寺にいて、親しき金蘭の交わりを結んでいる人、すなわち最澄を指すものである。二通目は、香二包みと左衛士督(藤原冬嗣)よりの書状を受け取ったこと、さらに仏事が追っているので予定していた法談を延期したい旨を申し送ったもの。宛名はないが、これも最澄に宛てたものであろう。三通目は、法会が終わり次第、比叡山の最澄のもとを尋ねる旨を申し送ったものである。宛名の「止観座主」は比叡山の一乗止観院の座主、すなわち最澄のこと。
一緒に入唐し日本の真言・天台の祖となった両者の交流を物語るものとして貴重である。大同元年(八○六)に帰国してからしばらく経た弘仁三年(八一二)、四年頃の手紙と考えられる。三筆の一人として能書で名高い空海の遺品の中で、最も著名なものである。伝統的な王羲之(三〇三-三六一)書法に加えて顔真卿(七〇九-七八五)の書法をも手中にしたもので、一通目から三通目まで豊潤で重厚、澗達自在と変化に富んだ多様な書法を展開しており、書道史・仏教史の上でも注目される遺品である。巻末の別紙の識語によれば、もと五通が伝存したが、一通が文和四年(一三五五)頃延暦寺から現在所蔵される散王護国寺(東寺)の御影堂に寄進される過程で盗難に遭い、もう一通は天正二十年(一五九二)関白秀次(一五六八―九五)の懇望により進上したことが知られる。出所:書の至宝-日本と中国2006
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