特別展「貝殻旅行 ー三岸好太郎・節子展ー」神戸市立小磯記念美術館

特別展「貝殻旅行 ー三岸好太郎・節子展ー」神戸市立小磯記念美術館

名称:特別展「貝殻旅行 ー三岸好太郎・節子展ー」神戸市立小磯記念美術館
会期:2021年11月20日(土曜日)~2022年2月13日(日曜日)
休館日:月曜日(ただし1月10日は開館)、12月29日~1月3日、1月11日
開館時間:午前10時~午後5時(入館の受付は午後4時30分まで)
入館料:
  一般 800(600)円
  大学生 400(200)円
  高校生以下 無料
  ※( )内は30名以上の団体料金。
住所:〒658-0032兵庫県神戸市東灘区向洋町中5-7
TEL:078-857-5880
URL:神戸市立小磯記念美術館

作風を変遷させながら、一貫して独自のロマンティックな世界を描き続けた夭折の画家・三岸好太郎(1903-34)。そして、女性洋画家の先駆的存在として苦難の道を切り拓きながら、重厚な色彩とマチエールに到達した三岸節子(1905-99)。
本展では、二人の「出会いから100年」を記念し、出会いから結婚、「貝殻旅行」と称した最後の夫婦旅行と好太郎の急逝、その後の節子の奮闘の軌跡を絵画によってたどります。恋人として、夫婦として、愛し、高め合い、追慕しながら、洋画史にその名を刻む画家となっていった二人の波乱万丈の「旅路」は、いかなるものであったのでしょうか。好太郎の作品46点と節子の作品37点および、絵画のモチーフとなった貝殻やインカの壺などのコレクションもあわせて展示します。

展覧会の構成と作品

第Ⅰ部 男と女の旅
〔第1章 プロポーズ〕
札幌に生まれた三岸好太郎は、中学校在学中から美術クラブで絵を描きはじめ、画家を志し18歳で上京します。一方、節子は、愛知県起町(現・一宮市)の大地主の家に生まれ、東京女子医学専門学校を受験するが不合格。画家になるために再上京し、女子美術学校に進学しました。ふたりの出会いは、グループ展「1920年社展」への参加でしたが、関東大震災の混乱のさなか急接近、好太郎は「私は貴女の心を美しく思ひます、(中略)私は今素敵に元気です、宇宙の中にある全てのものが私の自由になる様な気がしてなりません」と手紙にしたため、節子にプロポーズします。

三岸好太郎《赤い肩かけの婦人像》1924(大正13)年 油彩、キャンバス 66.0×51.0cm 北海道立三岸好太郎美術館蔵
三岸好太郎《赤い肩かけの婦人像》1924(大正13)年 油彩、キャンバス 66.0×51.0cm 北海道立三岸好太郎美術館蔵

〔第2章 プラチナの指輪〕
1925年、長女を出産したばかりの節子は春陽会に《自画像》などを出品し、女性で初入選を果たし、好太郎も同展に入選してふたりは新進の画家夫婦として注目を集めます。節子は幼子を抱えて生活に追われる中、好太郎は自由奔放に旅をして家を離れることが多く、節子の心には悲しみと怒りがひろがります。好太郎は「貴女を裏切つた事がいつあつたらう(中略)貴女にはプラチナの指輪をと思つて今日注文しました」と節子に書き送りますが、本当に指輪が贈られたかどうかは不明です。

三岸節子《自画像》1925(大正14)年 油彩、キャンバス 30.5×20.0cm  一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI
三岸節子《自画像》1925(大正14)年 油彩、キャンバス 30.5×20.0cm  一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI

〔第3章 貝殻旅行〕
好太郎は厚く塗った絵具層をひっかいたマチエールを試むなど、新しい制作を開花させるとともにアトリエ建築の夢を抱いて資金集めに奔走します。蝶と貝殻をモチーフにした連作を発表し、素描集『蝶と貝殻』の出版も果たします。そうした中、作品《のんびり貝》が購入されたことで、好太郎は節子を夫婦水入らずの「貝殻旅行」と称した関西への旅行に誘います。30歳を過ぎれば死ぬという自己暗示にとりつかれていた好太郎は「僕の生命線はあと一週間で切れている」と旅先で語り、節子と名古屋で別れた2週間後、胃潰瘍で吐血、心臓発作を起こして孤独に息絶えます。31歳でした。

三岸好太郎《海と射光》1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 162.0×130.8cm 福岡市美術館蔵
三岸好太郎《海と射光》1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 162.0×130.8cm 福岡市美術館蔵
三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》 1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 91.5×60.6cm 東京国立近代美術館蔵
三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》 1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 91.5×60.6cm 東京国立近代美術館蔵
三岸好太郎《のんびり貝》1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 50.9×107.4cm 北海道立三岸好太郎美術館蔵
三岸好太郎《のんびり貝》1934(昭和9)年 油彩、キャンバス 50.9×107.4cm 北海道立三岸好太郎美術館蔵

第Ⅱ部 女流画家の旅路
〔第1章 いばらの道〕

29歳で未亡人となった節子は3人の子供を育てながら画家として生きることを決意します。生活のために、雑誌の挿絵や文章の仕事も手がけ、1947年には女流画家協会を結成、その後《静物(金魚)》が文部省の買い上げとなるなど、高い評価を得ます。1954年には、好太郎の念願であったフランスに旅し、このヨーロッパ旅行は、節子に日本人であることの自覚をもたらし、制作にも重要な影響を与えました。

三岸節子《静物(金魚)》1950(昭和25)年 油彩、キャンバス 61.0×90.7cm 東京国立近代美術館蔵©MIGISHI
三岸節子《静物(金魚)》1950(昭和25)年 油彩、キャンバス 61.0×90.7cm 東京国立近代美術館蔵©MIGISHI
三岸節子《鳥と女と》1956(昭和31)年 油彩、キャンバス 100.0×81.0cm 高輪画廊蔵©MIGISHI
三岸節子《鳥と女と》1956(昭和31)年 油彩、キャンバス 100.0×81.0cm 高輪画廊蔵©MIGISHI

〔第2章 風景を求めて
1968年、節子は風景画に本格的に取り組むため、二度目の渡仏を果たします。とりわけ節子を魅了したのはヴェネチアでした。当初は4年程度で帰国する予定でしたが、パリで開催した個展が好評であったことからブルゴーニュ地方の農家を購入、長期滞在し、風景画家として確固たる足跡を残しました。

三岸節子《ブルゴーニュにて》1989(平成元)年 油彩、キャンバス 81.0×100.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI
三岸節子《ブルゴーニュにて》1989(平成元)年 油彩、キャンバス 81.0×100.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI
三岸節子《アルカディアの赤い屋根(ガヂスにて)》1988(昭和63)年 油彩、キャンバス 60.0×73.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI
三岸節子《アルカディアの赤い屋根(ガヂスにて)》1988(昭和63)年 油彩、キャンバス 60.0×73.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI

〔第3章 永遠に咲く花〕
1989年、84歳になった節子はヨーロッパから帰国します。1991年にはワシントン女性芸術美術館で日本人洋画家初の大規模回顧展が開かれ、1994年には女性洋画家初の文化功労者となりました。また、1992年には「三岸好太郎と三岸節子展」が初めて全国巡回しました。
生家跡に自身の名を冠した美術館が建てられることが決まると、節子は、脳梗塞を患い半身不随の後遺症
が残るなか、その壁面を飾る大作《さいたさいたさくらがさいた》を完成させ、美術館の開館を見届けた翌年、94歳でなくなりました。

三岸節子《さいたさいたさくらがさいた》1998(平成10)年 油彩、キャンバス 130.0×160.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI
三岸節子《さいたさいたさくらがさいた》1998(平成10)年 油彩、キャンバス 130.0×160.0cm 一宮市三岸節子記念美術館蔵 ©MIGISHI

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