テーマ展 近代陶磁の技と美に迫るⅠ「初代 諏訪蘇山 没後百年記念展―初代蘇山の遺した石膏型を次代へ―」愛知県陶磁美術館

テーマ展 近代陶磁の技と美に迫るⅠ「初代 諏訪蘇山 没後百年記念展―初代蘇山の遺した石膏型を次代へ―」愛知県陶磁美術館

名称:テーマ展 近代陶磁の技と美に迫るⅠ「初代 諏訪蘇山 没後百年記念展―初代蘇山の遺した石膏型を次代へ―」愛知県陶磁美術館
会期:2022年5月21日(土)から6月26日(日)まで
会場:愛知県陶磁美術館 第8展示室
開館時間:午前9時30分から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)
休館日:毎週月曜日
観覧料:一般400円(320円)・高校・大学生300円(240円)・中学生以下無料 
   ※( )内は20名以上の団体料金
   ※企画展「酒のうつわ」の観覧券で本展も合わせてご覧頂けます。
   ※各種割引制度あり。詳しくは下記をご確認ください
   割引制度 さまざまな割引制度がございます。割引一覧はこちらのページの下部にある一覧をご覧ください。
   ※各割引制度の併用は不可。
主催:愛知県陶磁美術館
共催:国立大学法人 京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab
特別協力:四代 諏訪蘇山
協力:諏訪蘇山研究会
住所:〒489-0965愛知県瀬戸市南山口町234
TEL:0561-84-7474
URL:愛知県陶磁美術館

青磁菊文大香合 1921年(大正10) 諏訪家蔵 諏訪蘇山と言えば中国龍泉窯のいわゆる砧青磁の持つ色合いや格調に迫る青磁作品で知られる。本作は1921年、聖徳太子の千三百年忌に因み、各宮家より注文を受け、東京美術学校制作の銀製香炉に添える香合として制作したものの予備品である。器体の中央に浮彫調に菊御文を配し、周囲を菊唐草文で取り巻いている。
青磁菊文大香合 1921年(大正10) 諏訪家蔵
諏訪蘇山と言えば中国龍泉窯のいわゆる砧青磁の持つ色合いや格調に迫る青磁作品で知られる。本作は1921年、聖徳太子の千三百年忌に因み、各宮家より注文を受け、東京美術学校制作の銀製香炉に添える香合として制作したものの予備品である。器体の中央に浮彫調に菊御文を配し、周囲を菊唐草文で取り巻いている。

初代 諏訪蘇山(1851-1922)は加賀藩士の家に生まれ、明治維新後、まず九谷焼の陶画を学び、その後、東京にて陶磁器製造業を営みながら、美術や化学の学理と最新の製陶技術を学んだといわれます。その後、1880年(明治13)九谷陶器会社改良教師に招かれ、さらに石川県工業学校教師を経て、1900年(明治33)、京都の錦光山宗兵衛の窯に招聘されたことをきっかけに京都へ移住しました。1907年(明治40)五条坂に窯を開き、これまで以上に自らの制作に専念しました。そして1917年(大正6)、陶磁分野で3人目となる帝室技芸員に任命されました。
  蘇山の作域は広く、陶磁全般に及ぶものでしたが、その中心は「青磁の蘇山」と高く評された青磁の制作でした。蘇山の青磁作品には、その淡青色の美しい色調とともに、精緻な造形や装飾に特徴がありました。その精緻な造形・装飾に欠くことの出来ない技が石膏型を用いた成形技法でした。これによって蘇山は精緻な造形・装飾と高い再現性(量産性)を両立し、他の追随を許さない制作を行ったのです。
 工房には蘇山が用いた百年以上前の石膏型が多数残されていました。2011年からそれら全ての基礎調査を実施し、更に2019年から四代 蘇山と京都工芸繊維大学とが協働し、三次元測量を行い、欠損や亀裂などの損傷をデジタルデータ上で補修を行い、デジタルファブリケーション技術を活かして復元再生に取り組んでいます。
 今回の展覧会は、初代蘇山の没後百年を記念し、その作品、石膏型や史料から蘇山の技と美をご紹介し、さらに石膏型をどのように残し、将来へ活かしていくべきか、その取り組みもご紹介いたします。

三島手菓子鉢 1914-15年(大正3-4) 諏訪家蔵 蘇山は1914年、朝鮮の李王職より高麗古窯跡の調査を嘱託され同地へ渡り、また李王家より高麗窯の再興設計及び工場主管を命ぜられ、翌年再訪し初窯を焚いた。本作はその時に制作されたものである。蘇山は同地の土を日本へ持ち帰り、その後も制作を行っている。
三島手菓子鉢 1914-15年(大正3-4) 諏訪家蔵
蘇山は1914年、朝鮮の李王職より高麗古窯跡の調査を嘱託され同地へ渡り、また李王家より高麗窯の再興設計及び工場主管を命ぜられ、翌年再訪し初窯を焚いた。本作はその時に制作されたものである。蘇山は同地の土を日本へ持ち帰り、その後も制作を行っている。
鉄釉花文花瓶 明治時代後期-1922年(大正11) 諏訪家蔵 底から肩部までわずかに開き、肩が張り、頸が短い花瓶にレリーフ状の花文があしらわれ、それにあわせて鉄釉の二重掛けで茶色と黒色の色彩表現を重ねている。花瓶の形状、レリーフの花文様、釉薬の使い方など、アール・ヌーボー様式に影響を受けた作品である。
鉄釉花文花瓶 明治時代後期-1922年(大正11) 諏訪家蔵
底から肩部までわずかに開き、肩が張り、頸が短い花瓶にレリーフ状の花文があしらわれ、それにあわせて鉄釉の二重掛けで茶色と黒色の色彩表現を重ねている。花瓶の形状、レリーフの花文様、釉薬の使い方など、アール・ヌーボー様式に影響を受けた作品である。
青磁鳳雲文花瓶型(部分) 1919年(大正8) 諏訪家蔵 1917年(大正6)に蘇山は陶磁分野で3人目の帝室技芸員に選ばれた。それにより1919年に宮内省より依頼を受け、制作した青磁鳳雲文花瓶の胴部に用いた石膏型である。石膏型成形技法を駆使し、精緻な造形・装飾と高い再現性(量産性)を両立した蘇山の技と美を垣間見る事が出来る。
青磁鳳雲文花瓶型(部分) 1919年(大正8) 諏訪家蔵
1917年(大正6)に蘇山は陶磁分野で3人目の帝室技芸員に選ばれた。それにより1919年に宮内省より依頼を受け、制作した青磁鳳雲文花瓶の胴部に用いた石膏型である。石膏型成形技法を駆使し、精緻な造形・装飾と高い再現性(量産性)を両立した蘇山の技と美を垣間見る事が出来る。
螺鈿香合 明治時代後期-1922年(大正11) 諏訪家蔵 蘇山は陶磁制作を本職としながら、さらに多方面に才能を発揮した人物で、漆の分野では本作のような螺鈿や堆朱の制作を行い、非常にレベルの高い作品を残している。本展ではそうしたこれまで知られざる蘇山の一面も紹介する。
螺鈿香合 明治時代後期-1922年(大正11) 諏訪家蔵
蘇山は陶磁制作を本職としながら、さらに多方面に才能を発揮した人物で、漆の分野では本作のような螺鈿や堆朱の制作を行い、非常にレベルの高い作品を残している。本展ではそうしたこれまで知られざる蘇山の一面も紹介する。
諏訪蘇山関連史料 諏訪家蔵 諏訪家にはこれまで未確認であった関連史料が残されていた。蘇山は当初、九谷の陶工・彩雲楼旭山(任田屋徳次)に陶画を学んだ。諏訪家には、任田屋徳次、さらにその父である任田屋徳右衛門の天保年間の釉薬調合の覚書が残されていた。他にも、蘇山自身の明治30年代の絵具の調合メモなどの一級の新史料を紹介する。
諏訪蘇山関連史料 諏訪家蔵
諏訪家にはこれまで未確認であった関連史料が残されていた。蘇山は当初、九谷の陶工・彩雲楼旭山(任田屋徳次)に陶画を学んだ。諏訪家には、任田屋徳次、さらにその父である任田屋徳右衛門の天保年間の釉薬調合の覚書が残されていた。他にも、蘇山自身の明治30年代の絵具の調合メモなどの一級の新史料を紹介する。

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