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孔子廟堂碑(唐拓孤本) 2009年3月9日更新
【和:こうしびょうどうひ】 |
【中:Kong zi miao tang bei】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画|>孔子廟堂碑(唐拓孤本) |
虞世南筆
一帖
紙本墨拓
縦28.2 横16.8
唐時代 貞観二ー四年(六二八―六三〇)
貞観二年(六二八)、唐太宗 は儒学を宣揚すべく、長安の国子監にある孔子廟を修築した。この碑はその完成を記念し、虞世南(五五八‐六三八)が勅を奉じて撰文し、あわせて書丹したものである。立神の年代は記されていないが、冒頭に記される虞世南の官職により、貞観二年から四年、すなわち虞世南七十一歳から七十三歳の間の撰文、書丹であると考えられる。原碑は立碑後まもなく火災により毀れ、則天武后の長安三年(七〇三)に重刻したというが、それも唐末には亡佚した。後世の覆刻本に、陝西本や城武本などがある。
現在、原石をうかがうことのできる唯一の拓本が、すなわちこの臨川の李宗瀚の旧蔵本である。元時代には周伯琦の所蔵であったが、清時代に安儀周の手を経て、収蔵家として名高い李宗瀚の有に帰し、隋の「啓法寺碑」、唐の褚遂良「孟法師碑、魏栖梧の「善才寺碑」とともに、李宗瀚の四宝の一つとなった。翁方網(一七三二―一八一八)はこの孤本を目睹するに及んで、つぶさに調査を行ない、『孔子廟堂碑考』を著わした。それによると、全文二千十七字のうち、唐刻は千四百四十六字にたりるという。虞世南は、王羲之(三〇三―三六一)、王献之(三四四―三八八)の伝統的な書法を継承するもので、直接には王羲之七世の子孫である智永に師事した。穏やかな結体ながら、内に剛柔を含むその階書は、欧陽詢(五五七―六四一)の「九成宮醴泉銘」とともに、唐代の楷書を代表する傑作中である。 出所:書の至宝-日本と中国2006
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