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金沢本万葉集 2009年3月17日更新
【和:かなざわぼんまんようしゅう】 |
【中:Jin ze ben wan ye ji】 |
彫刻・書画|>金沢本万葉集 |
藤原定信筆 一冊
彩箋墨書
縦二一・四 横一三・三
平安時代・十二世紀
東京・宮内庁三の丸尚蔵館
この「金沢本万葉集」は、『万葉集』巻第二の大半にあたる五十八枚、それに巻第四の九十七首分を二十枚の料紙に書写した粘葉装の冊子本である。中国から舶載した唐紙に倣ってわが国で作られた、いわゆる和製唐紙を用いている。表裏ともに白か黄の具を引いた(貝殻を潰して粉にした削粉を膠で溶いて、刷毛で引き染めにする)上に、菱唐草、二重丸唐草、亀甲、波、孔雀、鶴などのさまざまな型文様を雲母刷りにした、じつに美しい料紙である。
その書は、速筆で歯切れのよい筆致で、リズミカルで流動感に溢れている。料紙との調和を図りながら、 一字一字の字形にとらわれず、全体の流れと躍動する美しさを追求している。これを納める箱には「源俊頼」と記されており、歌人として著名な源俊頼の等と伝える。筆者は、小野道風(八九四―九六六)筆の「「屏風土代」」の跋語、藤原行成(九七二―一〇二七)筆の「白氏詩巻」の跋語、「久能寺経」(譬喩品)、「本願寺本三十六人家集」の「貫之集下」(石山切)、「順集」(岡寺切・糟色紙)、「中務集」などに筆跡を残しており、三跡として名高い藤原行成から数えて五代目にあたる定信(一〇八八―一一五四―?)の筆跡であることが明らかになった。
型文様で同種のものが「本願寺本三十六人家集」や「古今和歌集(元永本)」に使用されているが、この「金沢本」の型がやや潰れており、これらの遺品よりやや遅れての成立と考えられる。あわせて、唐の孫過庭(六四八頃―七〇三頃)筆の「書譜」に見られる節筆のような筆致、また意識してか、無意識か、筆の震え、さらには、「し」の文字をことさら太く執筆するなど多様な技法を駆使している.料紙との訓和を考えながら、じつに大胆に筆を運んだ的所が散見する.定信のほかの遺墨と比較すると、彼の壮年期の執筆と推定できる。明治四十三年(一九一〇)の秋、明治天皇が前田家に行幸された際に献上された。
出所:書の至宝-日本と中国2006
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