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服飾・装身具ー故宮  2008年08月01日(金)更新

服飾・装身具ー故宮
【和:ふくしょく・そうしんぐ
【中:Fu zhuang tou shi
明・清|基本用語>服飾・装身具ー故宮

  清朝は、中国最後の封建王朝であり、満州族によって打ち立てられた金王朝の後裔(子孫)にあたる。1644年、東北の辺境の地より北京に移り、ここに都を定めた。
満州族は山海関(万里の長城の東端にあった重要な関所)を越えて中国の中央部に移る前に、すでに冠や衣服についての制度を定めていたが、中央部に移ったのち、彼らの民族性を維持し、漠民族と良好な関係を築きつつ支配力を強固なものにするために、服飾制度についても改定を進めた。衣服には寒さを防ぐ機能のほかに、身分や階級を示す働きがあった。このために清朝政府は服飾を非常に重視し、康熙年間(1662~1722)の初めには群臣に対して「本朝の冠や衣服には身分の上下に応じて規定があり、いずれも形式には区別がある。建国の初めから制度が定まり、今日まで守られているものである」と語っている。
清朝の服飾の形式は極めて煩雑で、礼服(儀式用の服)(朝服く宮延での最も正式な服〉、朝掛〈掛は肩からかける打掛のこと〉、朝裾く裾はスカート状の服〉、端罩〈毛皮の外套〉)、吉服(祝い事の際に着る服)(龍袍く特別な式典に着用された龍の文様のある丈の長い服〉、龍掛く龍の文様のある掛〉、袞服〈紋章のある服〉)、行服(外出着)、雨服(雨着)、常服(普段着)の5種類に大別される。
『大清会典』(清朝の基本法典の一つ)の輿服(乗り物と冠服)に関する部分には次のような明確な規定が記されている。皇帝の冬用の朝服には明黄色を用いる。ただし圜丘(皇帝が冬至に天を祭る壇)で豊作を祈る時に限り藍色を用いる。襟飾りと裳(腰から下につける服)はともに表は紫色の紹の毛度を用い、袖先には煤貂(毛皮が黒褐色の貂)の毛皮を用いる。刺繍文様は両肩の前後に正面龍(龍文のうち最も高貴な形式の一つで、龍首は正面を向き正面向きに座す姿)を各1頭、襞の部分に行龍(駆ける姿の龍)6頭、上衣の前後に十二章模様(皇帝の服につけた12の飾り模様)を並べる。皇帝の冬用の朝服の第二は、色は明黄色を用いるが、朝日(皇帝が太陽を拝する祭)に限り赤を用いる。この時、襟飾りと袖はともに石青色(黒みがかった紫色)とし、金で波涛文、龍文を縁取る。刺繍文様は両肩の前後に正面龍を各1頭、腰の部分に行龍5頭、前合わせには正面龍1頭、髪の部分の前後には団龍文(丸くまとめた龍の文様)を各9個、実には正面龍2頭、行龍4頭、襟飾りには行龍2頭、袖先には正面龍各1頭、前後に十二章模様を並べる。つまり太陽、月、星、山、龍、華虫(雉子)、黼(斧の模様)、黻(二つの弓を背中合わせにした模様)を上衣に配し、宗彝(儀式用の祭器の一つ)、粉米(白米のこと)、藻、火を裳に配する。その間の部分には5色の雲、その下の広がった部分には八宝文(珠、銭などの八つからなる吉祥文)、波濤文を配る。皇帝の夏用の朝服はま明黄色を用いるが、雲文だけは藍色を用い、夕月(秋分に皇帝が月を拝する祭)には月白色(薄い藍色)を用い、襟飾りと袖はともに石青色とする。金の縁取りを施し、繻子(糸の浮きが多く表面がなめらかで光沢のある柔らかい厚手の絹織物)、紗(透かし目のある薄手の織物)、単、袷(裏地をつけたもの)は時に応じて用いる。そのほかの規定は冬用の朝服の第二と同様である。朝服と組み合わせて着用するものに朝冠(かんむり)、朝帯(ベルト)、朝珠(首飾り)、朝靴などがある。
皇帝の冬用の朝冠は、時に応じて煤貂か黒い狐の毛皮で縁取り、上に反り返らせる。冠の頂上から赤い紐を綴じ合わせ、縁の外まで垂らす。東珠(中国東北部に産する珠玉)を1個ずつ四つの金製の龍に交互に通して重ね合わせ、上に大粒の真珠を1個飾る。頂上には左右からの支えがある。また縁の下には首にかける下げ紐がある。
皇帝の朝帯は、色は明責黄色を用い、龍文を施した円形の金色の板4枚を飾り、これにはルビーあるいはサファイア、トルコ石を飾り、そし各板1枚ごとに東珠5個、そのまわりに真珠20個を配する。また下方が広がり先が尖った形の薄い藍色と白の長い布を左右に1枚ずつ下げる。その布と帯の間には簡略な彫刻を施した金色の丸い飾りが結びつけられている。これには金板のように宝石が飾られ、周囲に30個の真珠が飾られている。帯には刺繍模様のある袋、燧(日光から火をとる古代の道具)、觿(象牙製で、先を尖らせて角の形につくり、紐などの結び目を解くのに用いる道具)と鞘がさげられ、これらを結ぶ紐は全てこうした器物にふさわしく明黄色となっている。
皇帝の朝珠(儀式用の首飾り)には108個の珠があり、仏頭、記念、背雲と呼ばれる珠が垂れ下がり、大小様々な珍宝が見事に飾られている。ただし圜丘(皇帝が冬至に天を拝し祭る壇)ではラピスラズリ(アフガニスタン、シベリアなどに産する青色の宝石)の朝珠を用い、方沢(皇帝が夏至に地を祭る壇)では琥珀(松などの樹脂が化石化したもので黄色~褐色を帯びる)、朝日(皇帝が太陽を拝する祭)では珊瑚、夕月(秋分に皇帝が月を拝する祭)ではトルコ石の朝珠を用いるなど、さまざまな宝石が飾られた。吉服の時には朝珠はつけてもつけなくてもよかった。紐はいずれも明黄色である。
皇帝、皇后の冠、服飾は『大清会典』の中に定められている5種類のほかにも大量の便服(普段着、略装)がある。便服は形式、色彩、模様のいずれにおいても制約はなく、皇帝、皇后の希望どおりに作られた。その形式には袍(丈の長い服)、氅衣、馬褂(馬上で着用する上着)、大小の坎肩(袖無し)がある。皇后、皇妃たちが用いた略式の被りものや髪飾りは具体的な規定の中にはなかった。
清朝の宮廷で用いられた各種の絹織物は、おもに江南地方にあった三個所(蘇州、杭州、南京)の織造(清代の官営の織物工場)と宮延内にあった造辧処(内霧府く日本の宮内庁にあたる〉所属の工房)で作られた。出所:北京・故宮博物館名宝展-紫禁城と中国4000年の美の秘宝

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